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「まん防」前に、旅の思い出に浸りつつ

・はじめに

新型コロナ禍もようやく「出口」が見えてきた。明日からはいよいよ高齢者向けワクチン接種開始。スポーツやコンサートなども条件付きではあるが観客を入れ始めてきている。アメリカのメジャーリーグでは一部の球場が無制限に観客を受け入れ出した。日本では「まん防」とやらも始まるが、最早人々の生活にあまり大きな違いが発生するとは思えない。ワクチンが高リスクの方に普及するまで「だましだまし」やっていくしかなかろうかと思う。

コロナ禍の「総括」みたいなのは5年後くらいに色々な人が特集するのだろうが、一つ私が実感していることがある。それは、やはり「オンライン」は「オフライン」の恒久的な代替にはならないということだ。
アーティストのライブやスポーツの試合、親しい人との飲み会や家族親戚の触れ合いの時間など、ネット上での体験が肌感覚による体験とイコールになったのか。答えは恐らく「ノー」だ(もしイコールになり得たなら、あれだけの人が聖火リレーや夜の街に繰り出すはずがない)。結局自らの肌で感じることによる体験以上に印象を残せるものはあるはずがない、ということだろう。
そういうわけで、私が最も今待ち望んでいるのは「旅行」の再開である。旅行もまた、バーチャルが実体験を凌駕し得ない最たるものと思う。私は国内は全都道府県、海外は24カ国踏破している、そこそこコアな旅行好きである(もっとも「100カ国達成」なんていう上には上が数知れずいらっしゃるが)。次なる旅へと思いを馳せつつ、旅行についてつらつら書き連ねていきたい(ちなみに上の写真は、昨年GOTOトラベルで山形の鶴岡に行った際乗ったJR「いなほ」です)。

・「ホモ・モビリタス」

我々日本のサラリーマンはたいがい年に2回「長期休暇」がある事が多い。それはお盆と年末年始だ。そこで子供と共に旅行や帰省をする例が大半だろう。また欧米では「バカンス」なんて羨ましい制度もある。学校で2学期が始まった9月1日、クラスに「僕は家族でグアムに行きました!」なんてのがいたら「おーすげー!!」となることが多い(何がどうすごいのかはよくわからないが)。こんな感じで人間は誰でも、時折遠くへ行きたがる性質があるのではと思う。

そもそもヒトは「絶えず動き続ける存在」である。約200万年前アフリカにて発生した人類は、絶えず移動を繰り返さなければならなかった。無論それは肉を求めて、である。どんな動物も食べるものがなかったら探しに行くしかない。それを繰り返し人類はアフリカから世界中へと散らばって行った。日本へは中国大陸から朝鮮半島経由、南方から台湾経由、そして北方からロシア経由でヒトが到達し、「日本人」という人種が出来上がった。

その後も人類は絶えず動き続けてきた。ヒッタイトやミケーネ文明を滅亡させたのは「海の民」という正体不明の民族である。地球寒冷化に伴い北方民族が「ゲルマン民族」としてヨーロッパに侵入、西ローマ帝国を滅ぼすに至った。東に行った民族は中国に侵入、西晋を滅ぼし「五胡十六国時代」を築いた。中央アジアのトゥルクメンの躍動などもしかり、人類は絶えず移動する動物、「ホモ・モビリタス」なのである。現在地球上は「ネーション・ステート」に覆われ自由に外国に行くことはできないが、ネーション・ステートなど人類史から見れば「ごく最近の現象」に過ぎず、人類のDNAには移動の本能が刻み込まれているのかもしれない。
(ちなみにネーション・ステートについてオリンピックと絡めたコラムを以前書いたので下記ご笑覧下さい。)

・旅行から得られるもの

「民族の移動」なんて大それた話でなくても、旅は常に我々の五感を刺激してくれる。旅行に行って「実際行ってみたら、写真で見ていたのとずっとちがった感銘を受けた」という感想を持ったことは誰にでもあるのではないか(当然たまには「逆」もあろうが)。旅から受ける印象は極めて強いものであることが多く、それにより多くの文化の果実を生み出している。

古来日本の貴族は旅を愛してきた。「小倉百人一首」には田子の浦からみた富士山、筑波山からの川など、旅を題材にした多くの和歌が収められている。自由旅行のし辛かった江戸期もしかりで、最も有名なのは「奥の細道」だろうか。また幕末に吉田松陰は「飛耳長目」を実践すべく東北を旅行し日本の危機を身を持って知った。清河八郎は「尊王攘夷」の思想をはるか九州まで遊説して回っている(この2人の評価はわかれるところだがその話はとりあえず置いておく)。今現在でも燦然と輝く歴史小説家、司馬遼太郎は全43巻にもわたる「街道をゆく」という紀行文を遺しているが、これを読むと、司馬のあまたの著作が旅による実体験から生まれたものであることが推察される(司馬の業績についても色々だが、それもとりあえず置いておく。)。

音楽もまたしかり、週刊新潮でのコラム等で有名な片山杜秀氏は、現在のクラシック音楽の主流であるロマン派を下記のように特徴づけている。

では、彼らロマン派の特徴とは何か。その本質は旅にあるでしょう。その旅は、距離的にも、時間的にもどんどん遠くなり、空想の世界となって現実には存在しない夢を求めていく。

メンデルスゾーンの最も有名な作品である交響曲第三番『スコットランド』や第四番『イタリア』、序曲『フィンガルの洞窟』などはいずれも演奏旅行で着想を得たものでした。また彼は古典の教養も豊かでしたが、交響曲第二番『賛歌』はコラールを用い、第五番はずばり『宗教改革』。何百年という時間的なへだたりをモチーフにしているのです。

(中略)

演奏旅行に明け暮れたリストは、しばしば出向いた土地のメロディに取材して、ピアノ曲を作りました。「第一年 スイス」、「第二年 イタリア」と、各地の印象がピアノで奏でられるピアノ独奏曲集『巡礼の年』は、まさに旅の音楽です。

(中略)

そんなロマン派の作曲家の中でも、最もロマン主義的な旅を象徴しているのは、シューベルトの連作歌曲集である『冬の旅』でしょう。そこで表現されているのは、どこにも自分の居場所がなく、凍てつくような冬の景色の中、ひたすらさまよい、放浪し、ついには命が果ててしまうという世界です。
とにかく自分の手が届かないものにあこがれるということ。今、自分のいる場所ではない、他のどこかを求めてさまようこと。それがロマン派の精神なのです。

(後略)

片山杜秀 「ベートーヴェンを聴けば世界史がわかる」

実際の旅から深い精神世界へと降りていった作曲家たちの名曲を聴くに、我々もいつまでもウチでユーチューブなど見てる場合ではないという気分にさせてくれる。

・終わりとオマケ

そんな感じでまた旅(旅行)ができる日の到来の待望を色々と脚色して書き連ねてみた。ここまでで大分文字ばかりが多くなってしまったのが目につくので、最後に私が今まで旅した時に撮影した写真を並べて終わりとしたい。

鳥取県 三徳山三佛寺

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青森県 仏ヶ浦

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ポーランド アウシュビッツ

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イタリア ベネチア

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トルコ カッパドキア

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中国 九寨溝

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カンボジア アンコールワット

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インド タージマハル

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ウズベキスタン ブハラ

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カナダ ナイアガラの滝

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アメリカ ディズニーワールド

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旅は常々刺激の連続。次はどこに行こうか(どう休暇を取ろうか)想像するのもまた楽しみである。

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