第7回時代のアイドルだった小澤征爾さん 結果的に良かった「N響事件」

有料記事音楽を生きた人 小澤征爾さんを悼む

聞き手 編集委員・吉田純子
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 小澤征爾さんは一世一代のアイドルだった。小澤さんと同世代で、20代の頃からその成熟と深化のプロセスを追いかけてきた音楽評論家の東条碩夫(ひろお)さん(85)が、国内外における「小澤ブーム」の背景を読み解く。

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 初めて小澤さんの演奏を聴いたのは1961年、東京・新宿の厚生年金会館で開かれた日本フィルハーモニー交響楽団の公演でした。

 ベートーベンの「レオノーレ」序曲の第3番。長い序奏が始まってアレグロに入る、その時の第1テーマのすさまじいクレッシェンド(だんだん大きく)が忘れられません。ドイツ的な重々しい、どっしりとした音を美徳とする旧来の価値観を蹴散らし、若さと情熱がそのままなだれこんでくるかのような怒濤(どとう)のクレッシェンド。完全に心を打ち抜かれました。ああ、僕らの世代が待ち望んでいた人がついに現れたと。

 初めて言葉を交わしたのは67年、日本フィルの練習場でした。ちょうど2度目の結婚を、しかも有名なファッションモデルの入江美樹さんとなさるということで、週刊誌に追いかけられていた頃でした。事務局もぴりぴりしていましたが、いざ対面したら、「あー、前にお会いしましたっけ?」って調子のいいことを言う(笑)。

 当時の僕はFM東海(現エフエム東京)でクラシック音楽の番組制作をやっていたので、こういう企画をやりたいと話すと「あー、僕もそういうのやりたいので、ぜひよろしく」。 これだけの言葉ですが、真正面から見た、その目のすごさたるや。放射力、吸引力とでも言うのでしょうか。とにかく、あの目を見て、ファンにならずにいられる人なんていないと思います。

 とにかく、抜群にカッコ良かった。ふだんジャズとかミュージカルしか聴かない女の子まで、「とにかく小澤さん、やることなすことカッコいい」と。

 それから10年以上経ち、小澤さんと同世代のある演奏家からこんな話を聞きました。小澤さんの師匠の斎藤秀雄は、怒ると天地が揺らぐぐらいの怖さだと有名だったのですが、その演奏家と小澤さんが一緒に教室にいたとき、たまたま「大爆発」が起きてしまった。その瞬間、小澤さんは窓から飛び出し、実に鮮やかに逃げたのだそうです。よし僕も、と演奏家も隣の窓から飛び出した。ところが、あいにくその窓の下には大きな水たまりが……。

 つまり小澤さんは、下を見ないで窓からぱっと飛び出し、うまく水たまりのない方に着地したのですね。このとっさの判断、瞬発力、勘の良さ。これは小澤さんの音楽にも通じる天性のものじゃないかと、その話を聞いてふと思いました。

 そういえば、日本フィルの演奏旅行で小澤さんが遅刻したことがあったそうなんです。小澤さんが来ないと大騒ぎしていたら、ホテルに電報が届いた。「これは寝過ぎた しくじった」。みんなずっこけちゃって、怒るどころか大笑い。そういう何ともいえない愛嬌(あいきょう)の持ち主でもありました。

 歌心に満ちて、とにかくさわやか。そんな小澤さんの演奏に、当時の僕は夢中でした。ドイツものよりフランスもの、バルトークやヤナーチェクのような東欧系の曲のほうが、そうした小澤さんの良さがよく映える。

小澤さんの音楽は和食の「おすまし」

 そうした小澤さんの生気あふれる演奏を、乱暴だという人も少なくありませんでした。でも、小澤さんはこんなことを僕に言いました。「僕は日本では乱暴な指揮者だと言われてるらしいけど、アメリカに行くと全然逆なんだよ。アメリカでは、繊細な指揮者だなんて言われてるんだ」

 はて、繊細な指揮者とはどう…

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