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1曲の2枚:ストラヴィンスキー《ペトルーシュカ》(マケラ指揮&ロウヴァリ指揮)

ストラヴィンスキー:バレエ音楽『ペトルーシュカ』(1947年版)
ドビュッシー:バレエ音楽『遊戯』、ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲
Decca, 4870146
クラウス・マケラ指揮パリ管弦楽団
録音:2023年9月、12月


Stravinsky Makela

ストラヴィンスキー:バレエ音楽『火の鳥』組曲(1945年版)、バレエ音楽『ペトルーシュカ』組曲(1947年版)
Signum, SIGCD856
サントゥ=マティアス・ロウヴァリ指揮フィルハーモニア管弦楽団
録音:2023年5月18,21日


Stravinsky Rouvali

 時期をほぼ同じくして、ふたりの指揮者がイーゴリ・ストラヴィンスキーのバレエ音楽《ペトルーシュカ》を録音しました。ひとりは今売り出し中、あちこちのメジャー・オーケストラから引く手あまたのクラウス・マケラ、もうひとりはおそらく近年最も多くの録音をリリースしてる指揮者のひとりであるサントゥ=マティアス・ロウヴァリ。ふたりとも1947年版を用いての演奏ですが、その内容は正反対とでも言えそうなものとなっています。
 マケラと共演するのはパリ管弦楽団で、ここではこのオーケストラらしい華やかな色彩が存分に聴かれます。特に木管楽器群の音色の豊かさは特筆に値すると言っていいでしょう。ソロにおいてはもちろん、アンサンブルの中でも程よいブレンド感と重ね合わせの美しさには魅せられます。
 そしてマケラは、このオーケストラの華やかさを強調するかのように、勢いのある演奏を繰り広げています。先にリリースされたオスロ・フィルとのシベリウスの交響曲全集では、時折力で押すような場面が見受けられましたが、ここではそうした力感が全編にみなぎっている感じです。強拍のアクセントがほんのわずかだけ食い気味に入ってくる一方で、拍の刻みがビシッと決まって、押し出しのよいリズムが醸される。それが、音楽に勢いや推進力を与えているのが心地よく感じられます。
 併録はドビュッシーのバレエ音楽《遊戯》と《牧神の午後への前奏曲》。前者は私の好みからいうといくぶん静寂さに不足する感じ。畳みかけるような前のめりのリズムの刻みが、ちょっと際立ちすぎている気がします。

 ロウヴァリとフィルハーモニア管弦楽団による録音は、同じ1947年版を用いているけれども、演奏会用譜を採用していて、第1曲終わりの太鼓連打を省略している上、第4曲の末尾では「ペトルーシュカの死」に入らず強奏で終わっています。以前はさまざまな指揮者がこの演奏会版を録音していましたが、最近では珍しいと思います。
 こちらはロンドンのロイヤル・フェスティヴァル・ホールでの録音なのですが、マケラ盤がオーケストラの性格もあって輝かしい音色を存分に聴かせているのに対し、こちらはいくぶん渋め。これは正直、もっと派手派手しいサウンドになってもよかった。
 しかし演奏そのものはたいへん個性的です。ここでのロウヴァリの指揮が面白いのは、マケラ盤よりはわずかに余裕のあるテンポ設定をベースとしつつ、第1曲の途中に出てくる手回しオルガンの一節では付点リズムを誇張して妙な間を作ったり、また第4曲ではシークエンスの替わり目ごとにはっきりとしたリタルダンドを盛り込んでエピソードを隈取ったりと、田舎臭いというか不器用というか時代錯誤というか、どこかバタバタとした拍節感でまとめていることです。これまでのロウヴァリの録音を知っていれば、それが単に指揮者の技量によるものではないことは明白ですし、また聴いていても、そのバタバタ感のニュアンスが声部ごとに違っていて、全体として不思議な手触りのポリフォニーを作っている箇所があって、相当に意図して作り込んでいることが感じられます。
 モダン・オーケストラの技術的な向上と、ストラヴィンスキーの3大バレエ音楽の標準レパートリー化によって、《春の祭典》も《ペトルーシュカ》も、最近はスタイリッシュな演奏ばかりが多くなりましたけれども、たまにはこうした野趣にあふれた演奏もいいなあと思います。
 併録はバレエ音楽《火の鳥》の1945年版組曲。たっぷりと歌う場面と、泥臭いまでに力を押し出す場面の落差の激しい演奏です。2曲を並べると、ロウヴァリの持っているストラヴィンスキー観が透けて見えてくるようで、非常に興味深いプログラムとなりました。

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