【連続小説】初恋の痛みが消えないまま俺はまた恋をする第21話-春、修学旅行1日目〜貴志①

「カッピバラちゃん♪カッピバラちゃん♪」
 瑞穂がボックスを踏みながら小さく踊っている。
 新横浜駅からバスに乗り換え、やって来た修学旅行最初の目的地は、よこはま動物園ズーラシア。カピバラを見た瑞穂は、全身の毛穴という毛穴から花吹雪が飛び出してきそうな程に上機嫌だった。よほど好きらしい。
 ヨーデルを歌いながら、小さな円を描いてスキップし始める。周りにお花畑が見えるようだった。
 開園少し前に着いた観光バス内から瑞穂の頭はカピバラ一色だった。
 同じテンションで理美はオカピと繰り返しつぶやいている。こちらはまだ見れていない。青ざめた顔で「オカピ…オカピが足りない…早くオカピを…」
 禁断症状で目を見開きヨダレを垂らす理美。悟志には間違っても見せられない光景だろう。いや、弟はそんな理美すら「かわいい」と言うに違いない。
「高島さん、それは職質受けそうだからやめよう。出禁になったらオカピと会えなくなるよ」
 貴志が言うと、目の端に涙を溜めて理美が、ピタリと固まった。
「福原も、そんな飛び跳ねてたらコケるぞ」
 あ、コケた。転んだ瑞穂に手を差し伸べるのは裕の仕事だった。瑞穂はよく転ぶ。運動中は野生動物のような俊敏さを見せる瑞穂が、なぜか普段からよく転ぶのは、如月中学校の七不思議と、裕がよく言っている。
「福原…お前恥ずかしくないのか?」
 貴志の指摘もごもっとも。だが瑞穂は構わずに起き上がり、貴志の方を振り返る。
「あんなにかわいいカピバラちゃん見て、テンション上がらないなんて、もったいない!
 せっかく会えたんだから、食べちゃうくらいの気持ちで見てあげないと」
 その言葉が出た瞬間に、視界に入る動物たちがみんな一斉に柵の奥に引っ込んだ気がした。
「ヨダレ垂らして、ハァハァ言って、全力で手を振って!
 その方が人生楽しいでしょ?」
 言いたいことはわかるが、ヨダレは必要ない。そう言いたげな貴志の頭に、瑞穂の手が伸びる。ムギュとした感触と共に頭に何か乗せられた。
 裕がその姿に吹き出して、スマートフォンを向ける。撮られた写真にはカピバラの被り物を身に着けた貴志の仏頂面が写っていた。仏頂面と言っても口元しか露出していないのだが。
「なんだよこれ?こんなの売ってるのか?」
「知らないよ。これはウチで縫ってきたんだ〜」
 貴志の疲れ切った疑問に答える瑞穂。売り物と見間違うほどの質感を伴ったカピバラが貴志の頭の上で首をかしげた。

 オカピに会ってようやく理美のヨダレが治まる。いや、今度はえへえへと笑いながらヨダレを垂らしている。よほど好きらしい。
「貴志くんも好きな動物を、素直に好きと言って推したらいいのに」
 理美が「好き」に力を入れて首を傾げて反応を見ている。貴志の好みを知ろうという意図と、同時に「好き」という言葉を印象付けようとする意図を滲ませる。
「貴志は猛禽類が好きなんだよな!特にタカ。タカシだけに」
 裕が勝手に貴志の推しを発表するものの、こちらは「好き」の一言が上ずっている。緊張感がだだ漏れである。今晩、この言葉を言うべき時に向けて気持ちを高めているが、空回りが過ぎる様子だ。
「人の名前をオヤジギャグに使って滑るな。それに俺が好きなのはフクロウだ」
 猛禽類推しは嘘ではない。フクロウは本当に好きだった。ただ、いくら推していても、ヨダレは垂らさないだろう。いや、普通は垂らすのか?もはや普通がわからなくなっていた。
 それは普段からそうか…。
 人を遠ざけ、今みたいな態度を取るようになり、自分自身も普通とは言えない生活をしている。
 フクロウが見たいとか、声に出して言えば良いのだろうか。それとも動物にすらもう、自分には好きと発言する資格がないのだろうか。
「ほーら、また暗い顔してる」
 瑞穂が腰に手を当てたポーズで、顔を突き出してくる。その後ろにぷんすかと効果音が文字で見える気がして、貴志はこめかみを指で押さえた。
 
 どうも福原瑞穂といると、仮面が剥がれそうになる。なぜこの少女はこんなにも簡単に自分の心の中に入ってこようとするのだろう。貴志の築いてきた壁はそんなに越えやすいものではないはずなのに。どれだけ嫌味を言っても、決定的に突き放してしまえないのはなぜだろう。
 恐らく自分は、この少女を嫌いではないのだろう。嫌う理由も特にない。「あの事件」には何も関係なくて、裏表があまりにもなくて、底抜けに明るくて、子犬のような少女。
 福原瑞穂は客観的に見ればとても魅力的な女子だと思う。裕が好きになるくらいだから、よほどかわいいのだとも思う。
 かわいい?「人間」の「女子」に対してかわいいなんて思っている?俺が?紗霧以外の女子に対して?
 貴志の心に戸惑いが満ちていく。瑞穂を見ていると緊張するのは確かだ。
 今日、裕は恐らく瑞穂に…。そのサポートをする事ばかり考えていた。笑ってごまかしてはいるが、裕の緊張が治まる気配はない。その証拠に、いつもの思い切り笑っているときに人の肩をバンバンと叩く癖を、今日はまだ一度も見ていない。
「暗い顔と言ってもほとんど見えてないだろ」
 鼻までを覆い隠す前髪。瑞穂に貴志の表情が見えるはずもない。
「着ぐるみって、中の人の表情が伝わるっていうじゃん?北村くんも前髪の奥からにじみ出てる時があるんだよ」
 瑞穂からの言葉に、貴志と裕が固まった。二人で顔を見合わせる。お互いに親友の心底驚いた顔が見えた。
 そういう事か。始業式の日、裕は確かに言った。「たぶんあの子は近いうちに気付くんじゃないかな?お前の本当の性格に」と言っていた。その時はただの直感から出た一言だったのだろう。だが、それが二人の中で確信に変わろうとしていた。
 貴志の仮面が、1年半本音を隠し続けてきた仮面が、素顔を隠しきれないでいる。
 すべてを見抜いてしまいそうな、瑞穂の目を恐れるように背を向ける。その貴志に、
「フクロウ見に行こうか?貴志くん」
 裕が声を掛ける。二人して逃げるように早足で歩いていく。動揺が足元に表れているのか、肩を組んで千鳥足で歩いているものだから、酔っぱらいのように見える。
 その姿に瑞穂が首を傾げる。頭の上で疑問符がゆらゆらと揺れているのが見えるようだった。そしてその隣では理美が沈んだ表情で俯いてしまう。
 理美にはすでに意味がなくなっているので、貴志の仮面はほとんど外されている。それでも触れられない心の奥底。この修学旅行で触れようとしている心。どうして隣りにいる少女はこうも簡単に貴志の心を覗いてしまえるのだろう。
 それはきっと、自分自身の貴志への想いが足りなかったから。
 ならば、それならば瑞穂は…?

「あ、焦った。助かったよ、裕」
 貴志がくしゃくしゃと前髪をかき上げる。周りに同級生たちはいない。前髪から開放された表情は困惑の色を隠せないでいた。
「福原…想像してたよりも危険だな」
 危険という言葉に裕の肩がピクリと動く。貴志にとっての危険とはどちらの意味だろう。
「あいつの観察力を侮ってた。裏表がないだけじゃなくて、人の裏表まで見えるのか?」
 貴志の言葉に裕が胸をなでおろす。まだだぞ、まだオレのターンだぞ。お願いだから、「好きになるかも知れない」危険を感じるのは明日まで待ってくれ。今日、決着をつけるから。
「なあ、裕…俺は何かミスをしたか?
 滲み出てるって、何がだ?」
 貴志の表情が苦痛に染まる。貴志は「まだ」瑞穂を「自分が好きになるかも」と危険を感じているわけではないらしい。ただ瑞穂に「自分を見抜かれる」危険は感じているらしい。それは貴志にとって大事件だった。
 紗霧と離れてから、ずっと隠してきた素顔を、誰かに見られることなどあってはならなかった。
 貴志は王子様と呼ばれた自分を捨てて、悪魔と呼ばれる仮面を被ったのだから。もっと早くそうするべきだったのだと、ずっと後悔して生きてきたのだから。

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