【アーカイブ】音楽展望 フェリシティ・ロットの歌声 英国人の愛のたまもの 吉田秀和

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この記事は2011年6月28日付け朝刊文化面「音楽展望」で掲載されたものです

下記、当時の記事です

(音楽展望)フェリシティ・ロットの歌声 英国人の愛のたまもの 吉田秀和

 四月、東京銀座の王子ホールでフェリシティ・ロットの独唱会があった。私にとっては、あの大震災以来のはじめての夜の外出で、銀座は私の記憶にあるものよりだいぶ暗く静かに薄墨色の闇にひたされているように見受けられたが、音楽会の方は素晴らしいもので、とかく沈みがちな最近の心にポッと一点の暖かい灯がともったような感じ。

 きいていると、しばらく前、カルロス・クライバーの指揮で「ばらの騎士」の元帥夫人を歌っていたあの華やかで高雅な舞台姿が霧の中の立ち木みたいな姿で思い出されてくる。

 きれいに透き通った高音と、しっとりと落ちついて遠くまで影を投げてゆくような中音をあやつって音楽をつくってゆくのは昔と変わらないが、そこに今は戯れに通じるような軽みが加わった。シューマン、プーランクと歌い進めていって、やがてクィルターとかブリテンとか彼女の母国の歌曲に耳を傾けていると、これほどの世界的名歌手でも、生まれ故郷の水に洗われた歌を歌う時は心底気安く、また快くて、しかも心の深いところから湧きでてくるものに乗って歌えるものか、と思った。

   *

 思えば、芸術家、文学者といった類いの人々の場合、同じ大家といっても、広く大勢の人々に心から親しまれ、愛される人と、愛よりは尊敬の対象となる傾きの強い人とがある。漱石対鷗外のように。

 ロットは、私の見るところ、この前者の多くの人々に愛されつつ育ち、今日のような見事なキャリアを築いてきた人なのではあるまいか。彼女の歌の美しさと自在なはばたきの見事な融合の在り方は、多くの人々の愛に支えられ、それをしっかり感じつつ歌っていることと切り離せないのではあるまいか。

 彼女の見事な歌とそれをきっちり評価し支えている公衆とのことを考えているうち、私はかつて――はじめて――ロンドンにいった時出会った「英国人の知恵」のことを思い出した。この公衆があるから、この名歌手があるのではないか?と。

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 それはちょうどSPからLPに切りかわる時の話。ロンドンで私は、当時日本の音楽好きの間でも評判の高かったLPプレーヤーを求めて、店にいった。そこの店員は私に自慢の最新式プレーヤーで試聴させてくれたあと、あれこれとその機械の長所を説明した。その説明は私を納得させた(私は自慢ではないが、機械のことは苦手である――今も昔も)。私はその機械を買うことにした。ところが、その店員はこう言い出した。

 「この機械は最も新しく、最も進んだもので当店の自慢の商品。いかに素晴らしい機能をもっているかは今ご自分でも経験した通り。しかし、これはまだできたばかりで、従来の商品と比べ、どんなにすぐれているかはよくわかっているけれど、進歩した半面、どこか悪いところ、不具合になったところができたかどうかはまだ誰もよく知らないのです。ものごとは、ある点で改良されると、それに伴って今までなかった不都合が生じるというのも、ありがちです。とにかく、何かが変わったのですから、気のつかないところでマイナスになるというのも決してあり得ないことではない。いや、むしろ、ありがちなことなのです。この機械については、まだそのマイナス面はよくわかってない。マイナスが出たらば、直せばよいわけですが、そうすると、また、どこかが変わる。ところで、あなたはロンドンから遠い東のはてに住んでいらっしゃる。不具合がみつかったとしても、その機械をこちらに送ってきて、直して――直ればの話ですが――また、そちらに送る。これはお互いかなり手間のかかることですよ。だから、私はこれを今あんまりおすすめしません。これまでのものだって、高性能の機械ですし、その機能と構造はよくわかっている。どうしても今ほしいというのなら、私はむしろこちらをおすすめします。今すぐでなくともというのなら、少し待ってごらんなさい。お望みなら、何年かして、今よりはよくわかったとなったら、お知らせしてもいいですよ」

 文字通りではないけれど、彼はこういった。

   *

 これが有名なイギリスの保守精神の実例か、と私は思った。そうして、彼のいう最新最高の機械でなくて、その一つ手前の機械を買うことにした。

 何もイギリス人がみんなこうだと思っているわけではない。しかし、私はあの時、最新最良性能のものが最も望ましいものと受けとる習慣からは抜け出す手がかりを持ったと思っている。

 ロットはこういう公衆に愛されてきた人である。王子ホールの夜、プログラムを歌い終えた彼女は、アンコールにリヒャルト・シュトラウスの「あした」を私たちに向かって、私たちのために祈るようにして、音の一つ一つをゆっくり嚙(か)みしめながら、静かに歌っていた。

 “あした、また、太陽が輝くでしょう……”

 (音楽評論家)

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