幻想的な作品などで親しまれた画家・安野光雅さん(伴龍二撮影)
幻想的な作品などで親しまれた画家・安野光雅さん(伴龍二撮影)

作品から流れるチェロの音楽

昨年のクリスマスイブに亡くなった画家・絵本作家の安野光雅さんの作品をあれこれ眺めている。

バイオリン奏者としても一流だったスイスの画家、パウル・クレーの作品からはバイオリンの音が流れ出てくる。クレーを愛した安野さんの作品からは、人の声にもっとも近いといわれるチェロの音が聞こえてくる。曲でいえばバッハの「無伴奏チェロ組曲」第1番のプレリュードだ。

私はお会いしたこともない安野さんに恩を受けた。学生のころバッハの「無伴奏チェロ組曲」にまつわる逸話を読んだ私は、逸話の現場をいつか訪ねてみたいと夢みていた。こんな内容だ。チェロ奏者のパブロ・カザルス(1876~1973年)がバルセロナ市立音楽院で学んでいた13歳のとき、港の近くの楽器店で古い楽譜と出合う。バッハの「無伴奏チェロ組曲」だ。練習曲とみなされ演奏会で取り上げられることがほとんどなかった作品だったが、その真価を見抜いたカザルス少年は、12年もの歳月をかけて研究と研鑽(けんさん)を積んだのち満を持して演奏会で披露した。こうして同曲はチェロ奏者にとって聖書のような存在となった。

人間には大河の最初の一滴を見たいという根源への好奇心があるように思う。私にとっての最初の一滴は港の近くの楽器店だった。カザルス関係の書籍を読みあさっていると、ロバート・バルドックの『パブロ・カザルスの生涯』に《(カザルスは)アンチャ通りにある小さな楽器店に立ち寄った》という記述を発見した。休暇を利用してバルセロナを訪問し、詳細な街路地図を買ってアンチャ通りを探した。だが、そんな通りはどこにも存在しない。

帰国後、安野さんの『カタロニア カザルスの海へ』と出合う。驚いたことに安野さんも私と同じ関心を持たれていた。そこにこんな記述があった。《港に近いアムペル通りに1834年創業の看板を掲げた楽器店を見つけた》。すぐさまバルセロナで入手した街路地図を確認すると、港の近くに「アムペル」ではなく「アンプレ」という名の通りがあった。

次の休暇に再びバルセロナへ飛び、タクシーの運転手に「アンプレ通りへ」と告げると、彼はこともなげに「アンチャ通りね」と応じた。「アンチャ」はスペイン語、「アンプレ」はカタルーニャ語で、意味はともに「幅広い」だった。果たして、アンプレ通りには安野さんが書いていた通り1834年創業の看板を掲げた「ニュー・フォノ」という楽器店があった。長年の宿題にケリがついた瞬間だった。

質の高さと多彩さに驚く

そんな恩を受けながら、私は安野さんに不義理をしていた。かつて絵本担当として、海外の絵本50冊を紹介した『わが子をひざにパパが読む絵本50選』と日本の絵本50冊を紹介した『わが子と読みたい日本の絵本50選』を出版したのだが、安野作品を選んでいないのだ。安野作品の絵とアイデアの質の高さはいずれも尋常ではないことは分かっていた。それでも選ばなかったのは、数学教育者として多大な業績を残した遠山啓さんの影響を受け、ご自身も教育に関心を持たれていた安野さんの作品に、教育的意図を感じたためだろう。それは端正な三遊亭円生よりも、破天荒な古今亭志ん生を愛する自分の性癖に起因している。

安野作品を眺め直しながら、いまさらながら質の高さと同時に多彩さに驚いている。丹念に描き込まれたトリックアートのような作品には、巷間(こうかん)言われるように不思議絵で知られるオランダのマウリッツ・エッシャーの影響が間違いなくあるが、それ以上にスイスの国民的絵本作家であるアロイス・カリジェの影響が強いように思う。試みに安野さんのデビュー作である『ふしぎなえ』とカリジェの『ウルスリのすず』を比べてみてほしい。サンケイ児童出版文化賞大賞を受けた『はじめてであうすうがくの絵本』にもカリジェへのオマージュが感じられるはずだ。これらの作品には、『旅の絵本』シリーズでより顕著になる安野さん独自の鳥の視点が導入されている。また『天動説の絵本』や『ABCの本』の表紙の飾り模様は、明らかにモダンデザインの父と呼ばれる英国のウィリアム・モリスの影響だ。『野の花と小人たち』では、虫の視点で細密描写に挑んでいる。

津和野が培った鳥と虫の視点

安野さんは島根県津和野町という四方を山に囲まれ清流の流れる城下町で生まれ育った。安野さんの鳥の視点は津和野城跡に上って町を見下ろした体験(さだまさしさんは津和野城跡から見た風景を「案山子(かかし)」で歌っている)、虫の視点は山裾の森に分け入って植物や昆虫と戯れた体験が根底にあるはずだ。絵の好きだった少年は「山の向こうには何があるのか」と想像し、まだ見ぬヨーロッパへの憧れを膨らませてゆく。津和野で培われた感性とヨーロッパへの憧れが安野さんの中で統合され、多彩で質の高い作品を生み出す原動力になったのだ。

ところで、絵本作家として国際的に評価された安野さんだが、本心はどうだったのだろう。90歳の安野さんが誰はばかることなく本音を吐露しているように感じられる『会いたかった画家』が参考になりそうだ。

同書の冒頭で17歳のころの安野さんが岡山県倉敷市の大原美術館で「アルプスの画家」として知られるイタリアのジョヴァンニ・セガンティーニの「アルプスの真昼」に衝撃を受けたエピソードが紹介される。空の青と女性のドレスの青が目にも鮮やかな作品だ。戦後、再び倉敷を訪問した安野さんは、当時代用教員をしていた山口県徳山市(現・周南市)には売っていなかった絵の具を1本買う。

《買った絵の具はセルリアンブルーといい、うっすらと晴れた青空の色のように思える。徳山にはまだなかった。あれは希望の色だったと言ってもいいと思っている》

若き画家は、セルリアンブルーでどんな絵を描いたのだろう。学芸員や美術研究者の方々にお願いがある。絵本作家や挿絵画家としてではなく、純粋に画家として安野さんを美術史の中にきちんと位置づけてくれませんか。それが何よりの供養になるはずだ。

(文化部 桑原聡)

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