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ピアノのバッハ 9: 二段鍵盤のための音楽をピアノで弾く

「ピアノのバッハ」第九回目は、ようやくバッハの鍵盤音楽の最高峰、ゴルトベルク変奏曲です。

バッハが実際に弾いたであろう鍵盤楽器は、オルガンも含めて、チェンバロ、クラヴィコード、フォルテピアノなどがあります。

「ゴールトベルク変奏曲」はよく知られた作曲の由来から知られるように(後述)、本来はチェンバロのために書かれた音楽です。

しかしながら、実際のところ、どんな鍵盤楽器でも演奏が可能です。

非常に優れた多声音楽として書かれているので、どのような編成の室内楽に編曲して演奏しても原曲に負けず劣らず素晴らしいという、偉大な作品が目白押しのバッハの全作品の中でも群を抜く大傑作なのです。

多声音楽はたくさんの旋律が組み合わさって作られている音楽。

ですので複旋律音楽とも呼ばれます。ポリフォニーというカタカナでも。

現代のわれわれが日常的に聴いているほとんどの音楽は単旋律な音楽。

ホモフォニーは、メロディが最もわかりやすい一番上の部分に「歌」として存在していて、その下にコード(和音)が置かれた音楽。

ゴールトベルク変奏曲は複数の旋律が同時に響くことで複雑な音楽を形作るのです。

主題のサラバンドのアリアは四声。

冒頭第一声(ソプラノ)の
最初の音はト長調主音のソ。
第二声は休符。第三声も休符。
そして第四声のバスはソの付点二分音符。
変奏曲の主題は一番下のバス主題
ソ~、ファ~、ミ~、レ~と32小節続く、
息の長い旋律です

アリア同様に、全曲は二つ、三つ、または四つのメロディからなる変奏曲集に仕上がっています。

だから鍵盤演奏では、モダンピアノのように鍵盤楽器の鍵盤が一段であるか、一部のチェンバロのように二段なのかが重要になってくるのです。

鍵盤の数が変わると、弾き分けるメロディへの工夫も変わってくるからです。

眠れない夜のための音楽

クラシックファンの間ではおなじみの作曲の由来は以下のようなもの。

バッハの愛弟子だったヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク  Johann Gotlieb Goldberg (1727-1756) が仕えていたカイザーリンク伯爵が不眠症に悩まされていました。

ですので、伯爵は眠れぬ夜のための音楽をゴルトベルクを通じて師のバッハに作曲を依頼して、出来上がったバッハの作品をゴルトベルクに弾かせて眠れぬ夜に聴いたというものです。

前回紹介したフォルケルの書いたバッハの伝記に書かれている有名なエピソード。

フォルケルは主にバッハの息子たちから父親の人生を取材して、世界初となる素晴らしい伝記を完成させた伝記作家です。

折角ですので、フォルケルの著書から本作品への該当部分を英文から翻訳して紹介してみます(原語はドイツ語ですので、重訳ということになります)。

ちなみにGoldbergはドイツ語読みではゴルトベルクですが、英語ではゴールドベルグ(より正確にはゴールドバーグ)。

わたしは普段は英語を喋っているので、ゴールドベルグ変奏曲と英語読みする習慣があるのですが、この記事ではゴルトベルク変奏曲として語ります。

いずれにせよ、どのようなカタカナ表記も発音が全く異なる外国語に対しては不正確なのです。

The Variations are models of what such compositions ought to be, though no one has been so rash as to attempt to follow Bach's footsteps. We owe them to Count Kaiserling, formerly Russian Ambassador at the Saxon Electoral Court, who frequently visited Leipzig with Goldberg, … among Bach's pupils.

その変奏曲は,だれもバッハの跡に続いて
作曲を試みようなどとは思わないような、
変奏曲とはかくあるべき
という模範的な作品なのだった
我々はザクセン選帝侯宮廷の元ロシア大使である
カイザーリンク伯爵に感謝すべきなのだ
だというのも、伯爵は
バッハの弟子であるゴルトベルクを伴って
ライプツィヒをしばしば訪れていたからだ

The Count was a great invalid and suffered from insomnia. Goldberg lived in the Ambassador's house, and slept in an adjoining room, to be ready to play to him when he was wakeful.

伯爵はとても病弱で不眠症に悩まされていた
ゴルトベルクは大使の邸宅に住んでいたのだが
隣の部屋に眠り、伯爵が眠れぬ時には
すぐに演奏できるように控えていたのだ

One day the Count asked Bach to write for Goldberg some Clavier music of a soothing and cheerful character, that would relieve the tedium of sleepless nights.  

ある日、伯爵はバッハ
にゴルトベルクが弾くための
眠れぬ夜の退屈を慰める
穏やかで陽気な性格の音楽を所望した

Bach thought a set of Variations most likely to fulfil the Count's needs, though, on account of the recurrence of the same basic harmony throughout, it was a form to which he had hitherto paid little attention. Like all his compositions at this period, however, the Variations are a masterpiece, and are the only example he has left us of this form.

バッハは伯爵の要求を満たす
同じ基本和声が全曲を通じて
何度も現れるという
一揃いの変奏曲を考え出した。
変奏曲形式はバッハがあまり
関心を払っていなかったジャンルなのだけれども
当時の彼の全ての作品がそうであったように
ゴルトベルク変奏曲は傑作であり
バッハがこの形式において
後世に残した唯一の作品なのだった
訳注:バッハには他に変奏曲がないというのは
実は正しくありません
後世の我々はもう一つの
鍵盤楽器のための変奏曲が
あることも知っている
「イタリア風のアリアと変奏 イ短調 BWV 989」
という
1708年ごろに
若いバッハによって書かれた変奏曲は
知名度が低いのですが悪くない作品です
ほとんど演奏されず、知られていないのは
後年の大傑作ゴルトベルク変奏曲の価値には
遠く及ばぬからでしょう

The Count always called them “my Variations” and was never weary of hearing them. For long afterwards, when he could not sleep, he would say, “Play me one of my Variations, Goldberg.”

伯爵はバッハの変奏曲を「わたしの変奏曲」と呼び
何度聞いても飽きることもなかったのでした
ずっとのちになっても、眠れぬ時には
「わたしの変奏曲の一つを弾いておくれ、
ゴルトベルク」と
伯爵は言ったものでした

当時は寝る前に音楽を聴きたくても、スマホなどの音楽再生機は存在しないので、音楽のできる召使を隣の部屋に控えさせていて、BGM代わりに寝室に置かれていたチェンバロなどを弾かせていたのでした。

この名作を「わたしの変奏曲」と呼んで、音楽的世界遺産となる唯一無二の作品を私物化して自分一人で召使の演奏家に弾かせていた、当時の貴族はなんという贅だったのでしょうか!

変奏曲はバッハ晩年の1741年に書かれた曲でした。

バッハから英才教育を受けたらしいゴルトベルクはこの年になんと14歳。

中学生の年齢で長大で難曲の変奏曲を音楽通の伯爵を満足させるレヴェルで弾きこなしたというゴルトベルク少年は素晴らしい演奏家だったのですね。

しかしながら不治の病である結核にかかり、バッハ死後六年目に29歳の若さで天に召されています。

最近の研究では、楽譜が出版された翌年1742年にバッハがドレスデンのカイザーリンク伯爵邸に滞在したという記録が発見されていて、1741年以前のバッハとカイザーリンク伯爵との親密な関わりが疑問視されています。

息子からの伝聞で有名となるエピソードを記載したフォルケルの言葉の信憑性が揺らいでいるのですが、わたしはこのエピソードが好きなので、本当であったと信じたいですね。

カイザーリンク伯爵
Hermann Karl von Keyserling
(1697–1764)
1750年に他界したバッハの死後、
14年も長生きしたのでした
20年以上も
ゴルトベルク変奏曲を
聴くことができたでしょうか
From Wikipedia CCBY4.0

二段鍵盤のための音楽

ゴルトベルク変奏曲が音楽的にどれほどに類まれなる名作であるかは、次回語りたいと思うのですが、カイザーリンク伯爵ではありませんが、何度聞いても飽きることがないというだけ事実だけでも本当に名曲中の名曲です。

そして何度も何度も耳にしてから、実際に楽譜を手にもって音符を眺めてみると、もう開いた口がふさがらないというほどにすごい楽譜!

音楽が読めない人でも驚くべき、遊び心にあふれた音楽的パズルが満載なのです。

上述のように、どんな鍵盤楽器で弾かれても、どれもこれも素晴らしい。

例えば、二台のおもちゃのピアノでも。

楽器が二つで二段楽譜の一段ずつ弾くとして、鍵盤が二段になるので、もしかしたらモダンピアノで弾くよりも弾きやすいかも。

もちろん、我々が最も身近に感じている楽器であるモダンピアノで演奏されても素晴らしい。

しかしながら、ピアノでゴルトベルク変奏曲を演奏するのはとてつもなく難しい。

確かに二声のインヴェンションや三声のシンフォニアなどを弾きこなせるくらいの演奏テクニックを身に着けたならば、音符的にはさほど難しくはないのかもしれません。

リストの練習曲を弾きこなすようなサーカス芸的な演奏テクニックは全く必要とはされませんが、ほぼ常に三つの声部からなる音楽を独立して鳴らさないといけません。

各声部を弾き分けるためには、まず作品の前提となっている楽器問題が立ちはだかるのです。

私はどんな鍵盤楽器でも、ゴルトベルク変奏曲は演奏可能と書きましたが、ピアノで弾くのは至難の業。

そのわけは、もちろんモダンピアノの豊かすぎる音は、音が重なると和音(一つの音響の塊)として響いてしまうこと。二つの別々の音が同時に鳴ると、重なり合って音は混じり合い、別々の複数の音が鳴っているとは聞き取りがたいのです。

耳の特別に良い人は聞き取れるかもしれないけれども、普通の人には無理です。

バッハの時代の楽器は後世の楽器よりも響きに倍音が乏しいために、個々の音が重なり合っても完全にはブレンドされないのです。

もちろん、それはバロック音楽の合奏の魅力。

どんなに複雑な響きでも、個々の楽器の音色が独自に主張しあって響くのです、

例えば、バッハの名作ブランデンブルク協奏曲がモダン楽器で演奏されると、演奏される音は、音の塊(重なり合ってブレンドされた音)として耳に届きます。

カザルス版のオーケストラの音は豊饒で、まるで一大シンフォニー。

立派な演奏なのだけれども、バッハの意図した音楽からは程遠い響きなのでは。

第五番ではルドルフ・ゼルキンがチェンバロではなく、ピアノを弾いています。

これではバッハが意図した複数の楽器が奏でる合奏協奏曲の醍醐味が失われてしまうのです。

ブレンドされてはいけない音

モダンオーケストラは重なり合う音を奏でると、オルガンのようにまじりあった音となって、まるで大宇宙の鳴動などを思わせるすごい音になります。

モダンピアノはミニ・オーケストラとも呼ばれるように、同じような発想の豊かな音を作り出すのです。

残響の美を最大限に引き出すモダンピアノの音はあまりに豊かすぎる。

だからバッハを演奏するときには、本来持っているモダンピアノの豊麗な響きを押し殺して、スタッカート気味で弾くというのが決まり(モダンピアノの魅力を意図的に隠してバッハらしさを表現するのです)。

鍵盤楽器でのレガートという発想はロマン派時代のもので、バッハやヘンデルの時代には鍵盤楽器においては考えられないものでした。

オルガンの音はブレンドされすぎて、重なり合いすぎて、各音の明瞭さが失われるのが長所でもあり短所でもありました。

そして交わりあわない音こそがチェンバロ・ハープシコードの魅力でもあったのでした。

上下の鍵盤の用途の違い

さて、ゴルトベルク変奏曲ですが、ピアノ演奏を難しくする最大の点は、この曲が「二段鍵盤のためのクラヴィアのための for a Clavier with two manuals」ということ。

この曲は一部のチェンバロ・ハープシコードがそうであったように、鍵盤が上下の二段になっている楽器のためのものなのです。

だから全ての鍵盤が一段にしかレイアウトされていないピアノで弾くと、物理的に無理が生じてしまう。

バッハの別の二段チェンバロのための
大傑作「イタリア協奏曲」では
リトネッロ(オーケストラ部分)のような
重厚な部分は下の鍵盤で弾いて
ソロ楽器が奏でるような声部の部分は
上の鍵盤が担当
こういう弾き分けをすると
音楽はイタリア由来の協奏曲形式の
音楽のように響くので
ソロ楽器のための楽曲なのに
「イタリア協奏曲」と呼ばれるのです

チェンバロは面白い楽器で、二段の鍵盤では同じ音を鳴らせるのですが、下の鍵盤を弾くと重たい音が鳴り、上の鍵盤だけを弾くと軽い音が鳴るのです。

下の鍵盤を奏でると上の鍵盤も連動して動きますが、上だけを弾くと下の鍵盤は動くことはありません。

下の鍵盤では楽器の中の全ての弦が鳴りますが、上の鍵盤では楽器の中の半分の弦しか鳴らないのです。

つまり二段チェンバロを弾くとき、二つの楽器を同時に演奏しているような感覚を味わえるのです。

上下の鍵盤を弾き分けることで、強弱を表現できないというチェンバロの致命的な欠陥は克服されるともいえます。

下の鍵盤はたくさんの楽器の合奏のような重厚な音。ある意味、大きな音。

上の鍵盤は軽くてソプラノやヴァイオリンの高音やフルートが歌うような音。小さな音であるともいえるでしょう。

二つの旋律を上下の鍵盤で弾き分けるとまさに二つの楽器による二重奏。

もちろん一つの手でもう一つの旋律を担当できれば、三声にも四声にも音楽を膨らませることができるのです。

ゴルトベルク変奏曲をピアノで弾くと?

ゴルトベルク変奏曲は、変奏曲の主題を提示するアリアと三十の変奏曲(それと最後のダ・カーポのアリア)からなる長大な音楽(全部で32曲)なのですが、一部の変奏曲はあえて、「二段鍵盤のための」と書かれています。

第五変奏曲や第七変奏曲、第二十九番変奏曲は
「一段鍵盤または二段鍵盤」で
弾くべきと指定されています
一段鍵盤でも弾けるけど、
二段のほうが弾きやすい
という意味でしょうか
または二段チェンバロならば、
上の鍵盤も使いなさいという指示でしょう
後で詳細する第八番変奏曲は
「a 2 Clav.」つまり
「二段鍵盤のための」という指定
つまり通常では
一段鍵盤での演奏は物理的に無理なのです
11番、13番、14番、17番、20番、23番、
25番、26番、27番、28番も同様で、
32曲中、11曲(または14曲)は
二段鍵盤のための音楽なのです

つまり、二段鍵盤ではないチェンバロでは演奏は不可能という意味です。

ピアノであっても、バッハの音楽は多声音楽ですので、メロディが重なり合う部分の演奏は両手の指が狭い音域でぶつかり合って、演奏は難しい。

二段鍵盤でない場合、モダンピアノだと二つのメロディが交差する部分は、右手と左手は交差して、左手は右手の上に重なり、または右手が左手の下になるわけです。

モーツァルトの有名なピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」の第一楽章と第二楽章では、左手が右手の上を飛び越えて、左手が高音域を弾くことが要求されますが、バッハの場合は手が交差するどころか、指が同じ音域でまともにぶつかり合うのです。

左手が右手を超えてゆかないで同じ音域で絡まりあう
左手の下を微妙に潜り抜ける右手
なんとも弾き難い
この曲のピアノ演奏は
視覚的にもスリリングですね

二段鍵盤だと片手ずつメロディを弾くと、上からドシラソと下降しても、もう一方の手が仮にシラソレと上に上って行っても決してぶつかり合うことはない。

でも鍵盤が一列のピアノだと右手と左手はぶつかり合う。

第八変奏曲では、一方がラドミで上行して、もう一方がドラミで下行。

左手のラ+ドと右手はド+ラと全く同じ音の重なりになり、メロディはブレンドされてしまい、その部分のメロディは行方不明になってしまうのです。

この二箇所が重なり合う問題部分

主題喪失を避けるためには、ラドミを弾く左手の打鍵を強くして、ドラミで降りてくるメロディを弾く右手を弱く弾くなどの工夫が不可欠になります。

二段楽譜の右手部分と左手分を重ねると
どちらの楽譜もト音記号なので
同じ狭い音域で音が衝突しあう
とくに12小節目の第二拍では
普通にピアノで弾くと
「ド・ラ」の同音が両手で
連続してメロディが消えてしまう
13小節目の第四拍でも同じ
速いテンポならば
気にならないかもしれませんが、
この部分、普通のピアノでは
どんなに弾いても
音が団子になるか
どちらかのメロディが犠牲になって
聞こえなくなる

強弱を弾き分けられるピアノですから、弾き分けは理論的には可能、かもしれませんが、それでも、どちらかのメロディは聞こえなくなる。

ピアノで重なり合った和音として響かせないことは、よほど訓練しないと獲得できない至難の業とも言える上級な技術です。

すぐ後で詳細するグレン・グールドは、豊かな響きのスタインウェイピアノではなく、あえてスタインウェイよりも残響が乏しいアメリカ製のチッカリングというピアノを、より音が分離しやすいように特別仕様に改良したものを使っていたのでした。

だから誰も真似できない、前人未到かつ、将来的にも再現不可能なピアノ演奏を成し遂げることが出来たのでした。

グールド盤のこの部分の演奏はまさに神業です。

チッカリングのピアノ
https://www.chuppspianos.com/chickering-sons-pianos/

チェンバロのような音の鳴るピアノを探して、独自に改造してあのような音のバッハを求めていたのがグレン・グールドでした。

グールドの例はもはや究極の領域なのですが、ゴルトベルク変奏曲では意図せずして、ピアノで弾く場合にはいろんな場面でメロディを弾き分ける工夫が必要になってくるのです。

二段鍵盤ならば上下のメロディは何をしなくても違って聞こえてきましたが、ピアノでは別のメロディを徹底的に強弱を加減して弾き分けないといけないのです。

グーレン・グールドのバッハ革命

長い間、ゴルトベルク変奏曲はバッハの名曲として知られていながらも、ピアノでは演奏されない音楽でした。

ですが、20世紀の1955年になって、カナダのグレン・グールドという二十歳過ぎの若いピアニストが今では伝説となった驚天動地の録音と呼ばれるゴルトベルク変奏曲の録音をデビュー盤としてリリースしました。

グールド以前にも演奏会でこの曲を取り上げたピアニストはいましたが、グールドのバッハ演奏は、先人たちのバッハ演奏と一線を画すどころか、まさに別次元の音楽なのでした。

グールドの何が違ったかといえば、メロディの完璧な弾き分け。

超人的なテクニックによって各声部を絶妙に弾き分けて、すべてのメロディは別の楽器で奏でられているかのように別々に、まるでステレオのように聞こえてくるのでした。

ある評論家はリレー競争のようだと評しました。まさに言えて妙ですね。

そしてバッハをただ単に声楽的にメロディを分離させるだけではなく、リズム要素を徹底的に強調した躍動する音楽へと変貌させたのでした。

当時のバッハ音楽は教会音楽のように厳かに演奏することが一般的な解釈とされていて、グールドのようにエキサイティングな音の運動として、バッハの音楽を表現することはとても稀だったのです。

1982年に50歳で他界したグールドの「ゴルトベルク変奏曲」の正規録音は二つあります。

1954年の速いテンポの録音(発売は1955年)と、最晩年の1981年に作られて死後発売されたゆっくりとしたテンポの録音です。

わたしはこれらの二つの録音をCDで、そしてスマホに入れて常時持ち歩いて、至る所で聴いて、もう何十回、何百回と耳にタコができると形容したくなるほどに聴いてきましたが、いまだに飽きることがありません。

何が面白いのかといえば、やはりメロディを弾き分けるグールドの力量と弾き分けられたメロディが踊りだす躍動感と高揚感でしょうか。

楽しくて自然と体が動いて踊りだしたくなり、鼻歌を知らぬ間に歌ってしまうほど(笑)。

短調のゆっくりとした変奏曲では、深い慰めと暖かさにあふれていて、誰よりも深く、悲劇的で、グールドのゴルトベルク変奏曲には、音楽芸術の全てがあるのではと、思わせるよう豊かさがあるのです。

そしてさらには、楽譜を眺めると、もう人智を超えているのではといいたくなるようなパズル要素をさえも見つけることができますが、バッハの作曲の凄さについてはまだ次回に。

バッハのピアノで弾ける鍵盤音楽は、インヴェンションも平均律曲集もパルティータも、もちろん素晴らしいのですが、わたしにはゴルトベルク変奏曲は、それらの超名曲を遥かに凌駕する音楽の中の音楽です。

プロの鍵盤音楽奏者でゴルトベルク変奏曲を演奏しない人など皆無といわれる中で、数多くの名演奏録音や動画が存在しますが、まずはグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲から聴いてみてください。

眠れぬ夜に聴くと、面白くて興奮して眠れなくなる音楽、それがグレン・グールドのゴルトベルク変奏曲ですね。

眠たくなるための音楽であるよりも、秋の夜長など、時間のある夜にこそ、存分に楽しむための音楽です。

私たちの音楽生活は、18世紀の大貴族のカイザーリンク伯爵のよりも豊かなのかも知れません。

グールド最晩年の1981年版スタジオ録音は録画として記録されています。

また、1959年にオーストリアのザルツブルグで録音されたライヴ録音も、スタジオ録音とは微妙に違って面白い。

2023年にリマスターされた録音は、ライヴならではの雑音が消されていて、とても美しい録音に仕上がっています。

神憑ったカノン

ここから本投稿の本題のカノンを語ることになりますが、次回に続きます。


参考文献:


ほんの小さなサポートでも、とても嬉しいです。わたしにとって遠い異国からの励ましほどに嬉しいものはないのですから。