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正義と法の支配が必要~映画『パレスチナからフクシマへ』(土井敏邦監督)~

パレスチナと福島の類似性を考える、興味深い観点の映画です。


冒頭の、2014年のガザ地区の映像に、今のガザは同じというより、もっと悲惨な状況になっているのだろうと、暗澹たる思いになりました。パレスチナの人権活動家ラジ・スラーニさんが、自らがイスラエルによって受けた拷問について語るシーンも、辛かったです。


そのラジ・スラーニさんが、福島県飯館村を訪れ、避難を強いられた住民たちから話を聞きます。


移動中、除染で出た土を詰めたフレコンバッグの山を見て、ラジ・スラーニさんが、あの土はどこに持っていくのかと質問します。どこも引き取りたがらない、と言われたラジ・スラーニさんの、「日本国外でなければいいけど」「大海でなければいいけど」の言葉が重かったです。処理水の海洋放出が始まってしまった現在を思うと、特に。


長泥地区に住んでいた杉下さんの家の床柱や欄間の美しさには、目を見張りました。ラジ・スラーニさんも、「単なる『家』ではない、工芸品だ」と言っていましたが、そこを奪われたわけです。石材業を営んでいた杉下さんが、仕事場のシャッターを閉める際に頭を下げる姿は印象的でした。


長泥地区の話が出てくるのが、以下の『ビッグイシュー日本版』です。


阿武隈山地が御影石の一大生産地で、もとは関東にたくさん出荷していたというのは、初耳でした。


酪農業を営んでいた長谷川さんが、飼っていた牛を震災の2ヶ月後に送り出したシーンは、胸に迫りました。牛の目も、それを見つめる長谷川さんの目も、忘れられません。


住民の一人の菅野哲さんのお名前は聞いたことがあるなと思ったら、やはり『ビッグイシュー日本版』で拝見していました。


ラジ・スラーニさんの怒りは、福島の現状を知るにつれ、静かに高まっていきます。

「(国際司法裁判所などによる)国際的な法的な裁きを求めていかなければ」

「(パレスチナでも福島でも)正義と法の支配が絶対に行われない」

「犯罪も責任も明白なのに、両方とも全くその責任を取られない」

「(パレスチナの住民も福島の住民も)従順な犠牲者になることを強いられた」


福島などの犠牲の問題について扱っているのが、以下の本です。

↑この本の中に「代受苦」という言葉が出ています。他人の罪を代わりに引き受ける、ということ。問題なのは、自分の意志ではなく「引き受けさせられる」ことです。パレスチナの住民は、ヨーロッパの歴代社会がユダヤ人に犯してきた罪を、土地を奪われるという形で、代わりに引き受けさせられました。福島の住民はもまた、日本社会が犯してきた、そして今も犯している罪を引き受けさせられています。


ラジ・スラーニさんが福島の住民に語った、「私たちにあきらめる権利はない」という言葉も重かったです。でも彼らに戦うことを強いることもまた、酷な気もします。パレスチナの住民や福島の住民ではなく、私たちが正義と法の支配が行われるよう、求めていかねばなりません。




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