山本直純先生を語る これ程世界levelの作曲/指揮の大巨匠は日本に居なかった

*お願い=大石の健康状態悪化の為、以後「大石の口述を第三者がPCに
              打ち込みを担当」させていただきます(一応は、当面の間)
*口述著作=大石良雄
*PC打込   =高梁美砂子

全地球全世界に僅か数人しかいない                天才!!Bernstein/previn/山本直純!!

かつてのR-Wagner/G-Mahlerとも同格!!

トスカニーニ/フルトヴェングラーも作曲をしていたが、本人の気持ちとは裏腹に指揮者としての名声には到底及ばなかった

*正直な世界の感想=「トスカニーニこそ実は、本当の意味のpro作曲家を目指し努力をしていた」が、ワグナーの楽劇トリスタンとイゾルデ を観ている途中で自ら作曲家への道を放棄した。トスカニーニの作曲した音楽は、現在30数曲が現存し大半が歌曲で在り、1960年代のAmerica-NBC radioにて数曲が演奏放送された。現在CD等でも聴く事が出来ます。
更に「フルトヴェングラーは、実は? ご本人は最後まで=指揮もする作曲家」と自認していたと言われる。大掛かりな交響曲などが存在するが、やはり此処には指揮者としての名声実力には到底及ばず、指揮の名声に埋没してしまった。此処に如何に「RワグナーやGマーラーが物凄い存在」だった?かが解かって頂けるはずです(マーラーは当初指揮者としての高名度が知られ、作曲家としてはholiday-composer=休日作曲家と認知されていました)

☆作曲家と言うよりも「編曲家  アレンジャー」として著名だった人=
「ストコフスキー トスカニーニ」等が知られており、ストコフスキー=
トランスクリプション=移し替えると言われ、編曲Arrangeを言わば超越してしまった「一種の新作曲技法」とまで言われる技を編み出しました。
この経緯はおそらく「元々がオルガニスト(パイプオルガン)であり、その後指揮者に転向し、この経験から「バッハなどのorgan作品のorchestra化」を始め「展覧会の絵 独自編曲」始めもはや新芸術とも言える分野を構築してしまった偉人。対してトスカニーニは「極めて正統的なclassicのfieldを決して出ないが、classicの基礎を充分に弁えた素晴らしい編曲=スーザ=エルキャビタン  星条旗ょ永遠なれ  諸国民の賛歌」等などを数々編曲し、自らが指揮して素晴らしい演奏を聴かせてくれた物凄い大家と言えます。

如何にこの世の中「文武両道 両道使いが困難だったか」が解るはずだが、実は「真の両道使いが存在」していた。

*その世界的 否世界一の存在と自他ともに認められていたのがあの「レナード Bernstein」でした。このBernsteinは実は「同性愛者であり素行も悪く、
音楽のproの道を諦める直前に、A ロジンスキーに拾われてこの後栄光の道を歩む」のだ。このBernsteinの作曲能力の確かさ 物凄さは世界の折り紙付きで在り、しかもpianistとしてもpro以上の腕前で在り、まさに「万能の天才」と言える達人でした。創られた音楽も「大掛かりな交響曲  rock-musicをfutureしたミサ曲  更には不滅のmusical=waist side story」 の大成功において、まさに「classic&popular 文武両道の初の栄冠」を得た巨人でした。
当初,師匠格であった「 S ク―セヴィッキー」はBernsteinのこういう文武両道的な素養を嫌いclassic一本でのworkingを求めたが、これは正直嫉妬と言えますが、現代21世紀にさえこういう傾向がclassic界には視られます。
*ボストン Latin-school&Harvard-university  Curtis音楽院卒
*指揮の師匠=Sク―セヴィッキー  Fライナー
*piano師匠=イサベル ヴェンゲーロワ
*音楽理論 作曲の師匠=ウォルター ピストン
☆「代表的作曲作品」=交響曲「エレミヤ」「不安の時代」「カディッシ           ュ」 歌劇「タヒチ島の騒動」 ミュージカル「オンtheタウン」
    「キャンディード」「ウエストサイド物語」 「ミサ曲」他

*この「Bernstein styleの追従者といえる一人が=André-previn」と言えます。
このプレヴィンもまさに「classic&popularの世界を縦横無尽に横断し、しかも凄いpianistでもあり、指揮者としても素晴らしい人物でした。更に驚くのは「jazz-pianist」としても数々の名演とartistとの共演を果たしました。
*ベルリン高等音楽院  パリコンセールバトゥアール卒
*classic代表曲=交響曲 ピアノ協奏曲 バイオリン協奏曲 ギター協奏曲
歌劇「欲望と言う名の電車」 歌曲集「ハニーブルー」
popular&musical&映画音楽=「キスミ―ケート  絹の靴下 
マイフェアレディ―  ジーザスクライストスーパースター」他
(作編曲 音楽監督 編曲等を含む)
*指揮したorchestra=ウィーンPo ベルリンPo NY-Po他

*日本唯一人それが山本直純先生でした!!

(1)山本直純先生introduction&history

やはり、、、当然ながらこういった大天才の生まれる背景には必ず「優れた家系血筋血統が存在し、決して突然変異やトンビが鷹を産むなんてぇ事は絶対に無いのだ」と証明される。この直純先生も「父君山本 直忠 」と言う血を引き、更に周辺fieldにはそういう環境が存在していました。
相当早くから音楽の天分を現し、当然ながら徹底した早期の正規音楽教育を施され、芸大には一浪したもののこんな程度は屁でも無いでしょう。
(全然大した事も無ぇ3流大学を25浪した異人が居るらしいが、意味も無い)
*音楽理論 作曲の師匠=池内友次郎
*指揮の師匠=齋藤秀夫  渡辺暁雄
いずれも最高の師匠等に指導を受けておられました。

(2)直純先生 芸大時代の知られざるepisode

*アルバイト中での反乱?=友人であり指揮のrivalでも在った「福田一雄先生=直純先生は 福チビ」なんてぇ愛称で呼んでおられましたが、なかなか厳しかった芸大時代にこのお二人の大家は「某劇場で楽士のアルバイト=直純先生がタイコ  福田一雄先生がpiano」を弾いておられたのですが、福田先生のお話ですと「直純はねぇっ 自分の気に入らない踊り子が舞台に出て来るとねっ
タイコひっくり返しちゃって いや俺は叩かねぇっ と。ほんとに困った」と
苦笑しておられました。

*附いたあだ名は「ハンペン?」=これは「オケがやって来たの番組中に、某
pro-sax奏者がいみじくも言っていた事」なのですが、司会者の女性assistantが「昔からこんな立派なおヒゲ生やしていたのですか?」の質問に
「いゃーっ  あの頃は(芸大時代) 痩せこけていてねぇっ 年中青っちょろい顔してて ハンペンってぇ言うあだ名だったんですよ」(爆笑)と。

(3)直純先生 作品集list

☆純音楽 classic作品
*和楽器とOrchestraの為のカプリチオ
*行進曲 白銀の栄光
*Orchestraの為の「人」
*交響組曲「蒼きオオカミ」
*動物の四季
*symphonic-ballade
*合唱組曲 田園 わが愛
*東西太鼓大合戦の為の音楽
(題名の無い音楽会委嘱作品 東西太鼓3組と大オケ)

☆classic&joke(冗談) 作品
*交響曲―45番「宿命」
*ピアノ狂騒曲「ヘンぺラー」
*ヴァイオリン狂騒曲「迷混」

☆映画音楽
*おとこはつらいよ
*霧笛が俺を呼んでいる
*肉体の門
*痴人の愛
(弦楽器をfeatureした現代音楽そのものの傑作)
*兵隊やくざ
*クレイジー映画(萩原哲晶先生と共作)
*さそり
*203高地
*ビルマの竪琴

☆Animation
*新おばけのQ太朗
*ゼロテスター
*ゼロテスター地球を守れ
(simpleながら高度な和声chord進行が凄い)

☆television-drama
*マンモスタワー
*七人の孫
*氷点
(最初のTV化で、女性vocalの3拍子曲はその後の氷点音楽作品を
決して寄せ付けなかった魅力が在った傑作)
*太陽の丘
*愛と死を見つめて
*マリコ(NHK少年ドラマ)
*天下御免
*天下堂々
(東西太鼓が活躍する凄い傑作!!)
*ロマンス
*ハレンチ学園
*わんぱく番外地
*武田信玄
*風と雲と虹と

☆SF&特撮物
*マグマ大使
*怪奇大作戦

☆variety
*8時だよ全員集合
*お笑い頭の体操
*素晴らしき世界旅行
*知られざる世界
*3時のあなた

☆子供の歌 
*歌えバンバン
*花の周りで(編曲)
(編曲のみだが、このアレンジが無ければ成功は無かった!!)
*一年生になったら
*さあ太陽を呼んで来い
(石原慎太郎の書き飛ばした駄詩に、これだけの素晴らしい名曲を
作曲された直純先生はやはり天才だった)

(4)大傑作!!「大屁垂れ姫物語」(超大爆笑!!)」

この終生別れられない「大爆笑  笑って泣いて記憶の底に確かに残る大傑作」がこの「大屁垂れ姫物語」(正確なタイトルは忘却失念 お詫び!!)
元々は1970年頃フジテレビ放映「日本フィル シンフォニーコンサート」の中で「山本直純ウィットコンサート」の一環で作曲初演された作品でした。
☆作詞台本=忘却失念
☆作編曲/指揮=山本直純
☆ナレーション=三代目 古今亭志ん朝師匠
☆演奏=日本フィルハーモニー

*その内容=とある日、お爺さんとお婆さんが山に仕事に出かけた際に、宇宙🚀?に乗って来た?と思われる「小さな可愛い少女」を見つけ保護し自宅に連れて帰りました。その少女はすくすくと育ち評判の美女になったのですが、
唯一も他人に言えない秘密がその少女には在ったのですそれは!!

*信じられぬ巨大な大屁を垂れるのです!!

その大屁は、音が大きいとか何とかと言うレベルでは無くて、まぁその
何と言いますか 大地が震え上がる?と言うか、地鳴りが轟く? と言うか、地震が起きて家が揺れる程ド迫力在る大屁を垂れてしまうのです。
この「ド大迫力の屁の音」を、直純先生はオケの持つpowerを120%出し切って、まさに「brass金管のtrumpet trombone tuba timpani等を総動員」させ
「こんなドデカい途方も無い、とんでもねぇド屁の音をよくぞまぁ音で再現したかなぁ?」と言う程凄まじい屁の音を創作されたのは驚きで、直純先生も指揮しながら「ゲラゲラ笑い転げて」もう大変でした。
ナレーションの落語家「三代目古今亭志ん朝師匠」も「先生っ もしかしてこの曲もへ短調でございますか?」なんてぇ阿保な事をadlib入れながらもう、おかしくっておかしくって涙が出る程面白かった、、、そして、そして最後は「その美しく成長した娘は、何かの都合で星の世界に帰らなくてはならない」日が来たのですが、、、、、
此処で娘からお爺さんとお婆さんに、そっと耳打ちして最後のお願いをするのですが、、「何ッ? この世の名残に屁がしてぇ?」と。
そこでこの美しいお姫様は、この世の名残にと「恐ろしいばかりの、この世の屁とは到底思えない程の、空前絶後のド強烈な大屁をぶっ垂れて地球から去って行かれた」のでしためでたしめでたしと、、、、
現在、何も誰も知らぬ解らぬこの「大傑作classic作品」ですが、何処に探しに行っても何も無く出て来ません。どうかもう一度、もう一度観たい聴きたい!! どちら様か何か情報やsauceお持ちの方は、このnoteに御訪問下さい!!

(5) 大迷作「ハレンチ学園song」!!

🎵「ボインが西向きゃヒップは東!!」
こんなまぁとんでもねぇハレンチな歌をまぁ、よくもまぁ山本直純先生の様な巨匠が作曲されたなぁと不思議でしょうがないのですが、、、、、
この一見一聴「1月1日の歌=年の初めの試しとて、終わり無き世の目出度さに 松風立てて竿立てて、臭う今日こそ玉すだれ?」とか言う曲に、とても
良く似ている感じがしませんか?  何せ「ハレハレーのハレハレっ」なんてぇ
歌詞が附くとんでもねぇエッチな曲!!  ぜひ一聴お勧めいたします!!


(6)大傑作「マグマ大使」主題歌&BGM!!

☆「主題歌=マグマ大使」「挿入歌=ガムの歌」「帝王ゴアの歌」
かつて今まで聴いた事の無い「classic-styleの素晴らしいBGM」
①「マグマ大使主題歌」=長谷川竜生の見事な詩「正義はマグマ」の通りにその素晴らしいMarching-styleの名曲であり、そのmelody展開と不思議な音=Cmajor ハ長調として「守るため のE♭の音の使い方」等まさに天才的。
introductionから伴奏のコード進行まで、classicの素養が無くては決して創る事の出来ぬ素晴らしい名曲でした。
当時から、version違いや各社競作品が出ていて大変人気が在った名曲。

②「ガムの歌」=この曲を聴いただけで直純先生の天才ぶりが解ると言う曲であり、その「可愛らしく素直で優しい覚えやすいmelodyは、決して心から離れない!! 途中にTVdramaと同じ様なSEやBGが入るが、此処がまた天才的な処だろう。
当時から様々なversion違いや各社競作音源が出ていた名曲。

③「BGMの物凄さ」=このBGMこそその後の特撮番組BGMに大きな影響を与えた不滅の傑作と言える。まず
*基本 予算の都合か?オケの編成がかなり少ない(特に弦楽器)
*melody-Rhineが極めて現代音楽的であり、minor短調を基本に進行する曲調は驚きと波乱に満ち満ちており、自分が知る限り「こんなclassic的で格好良いBGMは終ぞ聴けなかった」!!  特に「戦いの曲」等は、ホルンの現代音楽的なharmonyと変拍子が特徴的で、こんな不思議な曲は聴いた事も無かった。
更に驚くのは「マグマ大使の主題歌&ガムの歌が、有機的にLyncされと言うよりもフーガの技法のごとく実に上手く組み合わさって創られていたBGM」が在り、これは物凄く勉強になりました。

④「マグマ大使  3コーラス目の歌詞の相違点について」
これは、以前から問題視されていたのですが「この部分」でして
🎵=「世界の子供とママの為」
🎵=「世界の子供  ママの為」
🎵=「世界の子供を守る為」
の計3つの異なった歌詞versionが存在し、はたしてどの歌詞が本当なのか?
迷う処です。確かにoriginal音源と推測される音源には「一番最初のpattern」が録音されていますが、その後は各社様々です。
おそらくは「直純先生のoriginal-scoreや、長谷川竜生さんの原詩」を視れば謎解きは可能のはずですが、今となっては難しいでしょう。
☆「BGM音源master-tapeについて Pプロ社長鷺巣富雄interview」=
        当時は音楽テープを残す事までは考えが至らず、コピーもしていなか            った。この点が悔やまれると。ご本人の言葉です。

*怪奇大作戦の音楽について

これは、その後TVdramaとなり認知されていく「科捜研=SRI
science-research-institute 」をモデルにしたSF特撮作品であり、
特に「theme曲 主題歌」が印象に残ります。
*「theme曲 恐怖の街」=編成は4rhythm&tenor-sax&fluteと言う
変則的な編成で、minor短調から始まりサビで突然にmajor長調になると言う実に不思議な曲。此処で不思議なのは「全く同じ演奏 音源」であるにも関わらず、当時発売された音源には2種類あった。
*3コーラス目の最後 endingでのきちんとジャーンっ終わっている盤。
*最後の最後の部分で、そっとF-Oしていく盤。

*PS=協力者 supporter名義についての私見=
ここ数年、ウィキペディア等で一部の不確定情報「別人がintro作っただの、オケの伴奏譜を書いただの、色々な不確定情報が在りますが、自分は基本的にはこうした「後だしジャンケン的な駄話は信用していません」
自分はまず「ご本人様からのお話を最重要視」しますし、直純先生とのinterviewは終ぞ実現できなかった為に、此処で不確定な事を申し述べる事は控えます。ひとつ解っている事は「どんな状態状況で在れ、山本直純先生の直接の筆が入っていた事は明白」であり、例え協力者=下請けが居たとしても「そのお金を支払っていたのは山本直純先生」だからです。

☆直純先生独自の作曲法とは?

これは、当時「直純先生の作品のrecordingに立ち会った者」の証言ですが、
某TV-dramaのBGMのrecordingの際、直純先生は「そのBGMの譜面を
何と全てCmajor ハ長調でmelodyだけを書いて来て、それをOrchestraに配布して、その場で皆で音楽を創り上げてゆく」と言うstyleでやっていたと言いますが、現在では通用しない技でしょう。
この技は実は「山下毅雄先生=animation等で大変高名な巨匠」も、この方法で行っていた事実があり、こういった場合は「日頃よくその作曲家のクセや特徴を知らないと出来ない芸当」で、今のやわな所見も効かないmusician達では到底出来なかった物凄いworkingと言えます。
しかし、こういった常軌を逸した音楽活動 creationが可能だったのもやはり
「純classic音楽の本当の基礎基本  音楽理論 和声 対位法 指揮法 piano」他全ての理屈を完璧に勉強し、絶対音感を身に付け、本当のproとしてお仕事を全うされていたからこその結果なのです。
やはり「基本」です  「基本こそが何より大切」です 基本です!!!!!!!!!!!!


(7)山本直純先生の指揮の技法とは?

☆「かつてこれ程、基本に忠実な棒振りは無かった!!」
忘れられぬ記憶として「B ブリトゥン青少年の為の管弦楽入門」の指揮で、
かつてこれ程基本に忠実で、正確無比な指揮ぶりは初めて観た程の、まるで機械の様な正確な棒振りには感服いたしました。

*山本直純先生の指揮ぶりは=観ていて非常に解りやすく  物凄く大げさで派手な様に視えて、実はこれ程基本に忠実な指揮者はいない程正確無比な棒を振られます。これは間違い無く「師匠の齋藤秀夫さんの影響」と思われ、この齋藤師匠の指揮も実に基本に忠実な正確な観ていて美しい指揮ぶりでした

☆「指揮棒振りの正確さとは? 実は視た眼の美しさにも比例する」のだと。
これは、世界の様々な指揮者の棒振りをもはや「飽きるまで凝視してきた自分」だからこそ解る事は?

*「道路わきの交通整理とも共通している」のだと。自分の様に関東一圓あちこち出動しますと解るのは?「道端交通整理屋の誘導の仕方」には千差万別在り、巧い奴は上手いが下手な奴は場合によってはドライバーから殺されると。この不確実さにより実際は事故にも繋がる事から、こいつ等の技術の無さにはあきれ返るが、 これは実は「指揮者にも当然当てはまり」ます。
「技術の無い指揮者程、変なおかしな棒振りをする」と。
おそらくは散々リハやゲネプロを行ったはずなのですが、それでも曖昧な身振り手振りはオケに無用の混乱を招きますし、それはどんな仕事も全く同じです。こういう点を踏まえて「山本直純先生の指揮ぶりは、観ていても非常に正確な図形を描き、常に第一歩は垂直に振り降ろす」等は基本そのものであり、観ている楽員たちにも、更に遠くに居る見え難い楽員たちにも「容易に視える」事も大切です。かつて自分も学んだ「合唱指揮教本の作者である
クルトトーマス」は「確かに指揮棒を持つメリットは確実に在り、特に大編成の場合や指揮者が見え難い時等はも指揮棒のメリットは存在する」と、クルトトーマス自身も認めています。
しかしこれは「真面な指揮を、真面な指揮棒を振る指揮者」についてのみ当てはまる事で在り、どうもそうでは無い指揮者が激増しています。
特に昨今、あの「天下の策士 小澤征爾の棒を捨てての両手指揮」の影響なのか?否か? 何処の誰もが雨後の猿真似のごとく「棒を捨て、両手大きく広げて
ストコフスキーよろしく両腕振り回す指揮者が多く」なりましたが、如何なものか? と大変疑問に思われます。

*「本当の名人とは? 棒の在る無しに関わらず、足で指揮しようと眼で指揮しようと、出て来る音楽は変わらない!!」のです。
ご本人の才能実力senseの問題でしょう。
我々はもう一度「指揮の基本は=山本直純先生に在り」と確定断定し、       もっと直純先生の指揮を勉強して下さい!!  このままですと日本の指揮者たちはいずれ「ベネズエラや欧米 シナ朝鮮ロシアに惨敗」するでしょう。
彼奴等は「日本と日本人を叩き落とす為に、日夜、血尿垂れ流し、血反吐吐きさらし、血眼で勉学に励んで」いる、、、、
その「血の出る様なクソ努力こそが、明日の世界のclassic音楽界での成功と名声  多額の金品報酬に、更には素敵な異性との出会いの保証」までが、担保されているからなのです。

(8)直純先生最大の悲劇 mistakeとは!!

☆「稀なる策士 小澤征爾の甘言に乗せられハメられた!!」=
「お前は世界に行けっ  俺は日本に留まりclassicの大衆化に努める」と。
こんな甘言と空嘘に騙されて「世界での活躍と名声を棒に振った
山本直純先生」とは悲劇の人!!  誰だっ 直純先生を潰したのは?!!!
本当にお気の毒なのは「山本直純先生が、晩年にふと周囲に漏らしたお言葉が=俺はclassicの大衆化をやり過ぎた」と、、、、、、

*「晩年 直純先生は純classic回帰を深く望まれ       ていた動かぬ事実」

僅か69歳と言う若さでこの世を去らねばならなかった直純先生のお心を思うと、本当に泣けて参ります。
おそらくこの根本根源は「直純先生を国内のゲス仕事に釘付けにし、その隙間に自分だけが海外に出て良い思いをしよう」等との大戯けがいたはず。
「誰だ? そいつは?」  自分はよーく知っているその大戦犯を。
山本直純先生こそ、実はもっともっと海外などでの活躍や名声は在って当然だったし、無くてはおかしい存在でしたはず。
其処にはやはり「ゲスな 商業音楽等よりも世界舞台の純classic音楽こそが、活躍の舞台で在ったはず」なのです。
残念です  無念です  日本は日本人は「Bernsteinクラスの大巨匠を潰した」のです。これはまさに世界的レベルの大犯罪であり、極刑に値する大罪です。
恥を知って下さい。

(9) 大奥 正美の本音?=お前だろう? 直純に下劣       な仕事させてるのは?

この台詞は? 山本直純先生が芸大時代に結婚された「奥 正美」の日頃常に口にしていた言葉でした。この正美も一応その道ではproだったらしく、自分は何の興味関心も無かったし意味も無い。
これは記憶ではもう45年位前? 直純先生が「某troubleで一時干された」時に
「某三文週刊誌に乗った記事」ですが、この「奥正美」は、直純先生が「純classic音楽以外のレベルの低い仕事を喜んで担当する姿勢」を快く思わなかった。これは想像だが「モーツァルトの悪妻?と言われたコンスタンツェも
そんな感じだった」と言われ、悪妻の典型=ビクセン?とも揶揄されたのですが、実は決してそうでは無くて、コンスタンツェこそモーツァルトの突き抜けた天才を誰よりも知り信じていたからこその表面上的な悪妻」と現代では解釈されていて自分も同意いたします。
この「直純先生の奥 正美」も、誰よりも直純先生のド天才ぶりを知り、解っていたからこそ、こういうクソ憎まれ口も叩けたのでしょう。
では「奥 正美は何を持って下劣な仕事」と揶揄したか? おそらくはまず間違い無く「ハレンチ学園  8時だよ全集!!  お笑い頭の体操 オケがやって来た」等を差す事は明確明瞭でしょう。確かに気持ちは解かるのです。
「自分の亭主の才能実力はこんな物ぢゃあ決して無いっ  もっともっと亭主が輝けるprideの高い仕事が在るはずだ」と。
これは当時この三文週刊誌にも載っていたが「オケがやって来た  担当producerだか何かが直純先生との徹夜仕事でぶっ倒れて寝ていたら、何時の間にか自分の顔を、スリッパでぺんぺん引っぱたかれて眼が覚めると、其処には正美が鬼の形相で立っていて「お前だろうっ 直純に下劣な仕事させてるのはっ?」と怒鳴られたと。そしたら直純先生は、何と視て見ぬフリして
「スリッパ スリッパっ」とスリッパ並べてたと、、、(爆笑)
まぁ、、何処の御国の奥も大奥も似た様なものでしょう。
しかしながら「唯一、奥正美との意見が相異したとしたら、、、直純先生はこうした自称下劣な仕事ってぇのを、ご本人は実はお好きで在り、喜んで仕事を引き受けて結果をだしておられた」事!!  この点だけが奥とは異なっていたのです。
しかし、この事が後程ご自分の足を引っ張る事になろうとは、直純先生ご本人すら解らなかった  これが本当に悲劇でした。

                     今回の総括 最後に

❄山本直純先生 永久に 決して忘れません!!

直純先生には、直接学べなくとも様々な事を教えて頂きました。自分の心の師匠として心より尊敬敬愛し、いずれお傍に参ります。





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