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「グレン・グールド秘蔵ライヴ」【今月のクラシック】

2023年03月22日12時00分

音楽評論家・柴田龍一

【目次】
 ◇「グレン・グールド秘蔵ライヴ」
 ◇坂井千春(ピアノ)など「セシル・シャミナード作品集」
 ◇宮谷理香(ピアノ)「ヴァリエーション~リカ・プレイズ・ショパン」
 ◇オーケストラ・アンサンブル金沢「モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番など」 

【今月のクラシック】バックナンバー

 20世紀の大ピアニストと言われる巨匠たちの中でも、グールドが全く独自でユニークな天才的鬼才であった事実は、いまさら何も言及する必要はないだろう。彼は、いまだに少しも衰えることのない熱烈なファンたちの支持を得続けているが、ソニーは、今回グールドのCDだけにとらわれることなく、最晩年に制作された映像作品、3種類の「ゴールドベルク変奏曲」とその中の一つであるCBSデビュー盤の疑似ステレオという4枚のLP化、「ゴールドベルク変奏曲(1981)」の未発表レコーディング・セッション・全テイクのCD化など、実に多彩なグールドの遺産をリリースした。しかもそこに含まれる数あるCDには、貴重な日本初発売の録音や、これまで光の当たることがなかった極めて珍しい録音なども含まれており、私たちの関心をとらえて離さない。さらに新技術を活用した大幅な音質の改善は、演奏を非常に聴きやすいものにしており、筆者は、これにすっかりはまり込んでしまった。

 今回は、スペースは乏しいが、「秘蔵ライヴ」と銘打たれた1枚を紹介しておこう。ここには、グールドがギリシャ人指揮者ディミトリ・ミトロプーロスと共演したバッハ(第1番)とシェーンベルクのピアノ協奏曲、そして彼が特に信頼していたヨーゼフ・クリップス指揮によるベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が収められている。バッハは、ザッハリッヒ(客観的)でモダンな発想が目を引くこのコンビならではの妙演で、やはりモダンであると同時に恐ろしく透徹した表現が限りないシェーンベルクも、この顔合わせからしか生まれ得ない異色で究極の名演と言っても過言ではないだろう。ウィーン情緒を豊かに漂わせたクリップスと米ニューヨーク州に本拠を構えるバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団のバックに支えられた「皇帝」では、グールドは自己のモダニズムとクリップスの個性をプラスに融合させ、類例のない名演を生んだ。聴き手に一味違った高級な魅力を堪能させてくれることだろう。(ソニー)

坂井千春(ピアノ)など「セシル・シャミナード作品集」

 フランスの作曲家シャミナード(1857—1944)は、数少ない女流作曲家の中でも特別に注目されてしかるべき1人である。封建的な彼女の父は、ビゼーの強い勧めにもかかわらず、この稀有(けう)な天才をパリ音楽院に入学させなかった。しかし、父が彼女を一流の教師にピアノと作曲を個人的に師事させたため、彼女の才能は、見事に花開いた。若き彼女は、とめどもない情熱、エスプリに富んだ洗練性、大胆な創造的野心、鋭敏に研ぎ澄まされた感性など、非凡な資質をふんだんに備えていただけでなく、まれに見る美貌の持ち主でもあり、瞬く間にモンマルトルのスターとしてもてはやされるようになった。そして、聴衆の喝采を浴びながら奔放な恋愛に身を焦がした青春時代は、まさに彼女の最盛期であったといって良いだろう。彼女の創作は、そのほとんど大部分がその頃の所産であるが、そこでは、彼女ならではの抜群のセンスが豊かににじみ出ている様相をはっきりと感じ取ることができる。

 彼女の音楽のエッセンスを伝える1枚と言えるこのアルバムには、4曲の室内楽曲と6曲のピアノのための小品が収められているが、ここで最もありがたいことは、ピアニストの坂井千春を中心にした演奏者たちがシャミナードの音楽の特異で魅惑的な個性を十二分に追体験し、あまり接する機会のないシャミナードの作曲家像をリアルに生き生きとレアリゼ(体現)している点である。シャミナードの音楽は、気楽な感覚で時にはムード音楽風に扱われるケースも少なくないが、この1枚をじっくりと味わえば、彼女の本当の作曲家像とその創作の意味や価値をまやかしなく体験することができると考えられよう。異端の作曲家と言える彼女の遺産に触れられることは、聴き手に思いがけない楽しみを与えてくれるに違いない。(コジマ録音)

宮谷理香(ピアノ)「ヴァリエーション~リカ・プレイズ・ショパン」

 ショパン国際ピアノコンクールの入賞者である宮谷理香は、ショパンの作品を中心に精力的な演奏活動を繰り広げており、最近では特に美しく成熟した状態にあると考えて良いだろう。「ヴァリエーション」と題されたこのアルバムは、ショパンが生涯にわたって書き残した変奏曲に焦点が当てられているが、ショパンの変奏曲というとさほどなじみがないように思われがちである一方、美しく魅惑的な創作が多く、ぜひ一人でも多くの方に聴いていただきたいという強い願いを抱いた。

 最初の「ドイツ民謡『シュヴァイツェルブープ(スイス少年)』のテーマによる変奏曲」など、まさにその端的な一例であり、ショパン独特のピアニズムがこれほど多彩で魅力的に発揮された作品を、知らぬままに放置されるのはあまりにももったいないのではないだろうか。さらに他の変奏曲も聴き手を引き付けずにはおかない傑作ぞろいであり、宮谷自身の多重録音による「4手のための変奏曲」は、現存するショパン唯一のピアノ連弾のための作品であり、大きな関心が持たれる1曲であろう。また、「フルートとピアノのためのロッシーニの歌劇『シンデレラ』の主題による変奏曲」は、筆写者不明の筆写譜が残されているだけの作品で、以前から偽作説が存在することも事実だが、ここでは、チャーミングな魅力にあふれる山形由美のフルートにも接することができて良かったという印象を受けるに違いない。声楽パートがフルートによって演奏されている「乙女の願い」も、ボーナストラックとして収録されていることがうれしい。最後になってしまったが、ここに聴く宮谷のピアノは、これまでの彼女のどの録音よりもしっとりと練り上げられており、成熟に伴う彼女の芸格の深まりと高まりを示していることが浮き彫りにされている。(オクタヴィア・レコード)

安永徹(コンサートマスター)、市野あゆみ(ピアノ)、オーケストラ・アンサンブル金沢「モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番など」

 安永徹は、桐朋学園大学を経てベルリン芸術大学に学び、1983年から2009年までの間、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを務めた。ヨーロッパ屈指のオーケストラのコンマスという重責を長く担うことは、彼を本物のドイツ正統派の大音楽家に育む結果をもたらした。彼はさまざまな録音を多く残しているが、このCDはその中でも貴重な意味を持つ一つである。他の録音はライヴではあっても最初からCD化されることを前提にしたものだが、この録音はそうではない。それ故に補助マイクなどは使用せず、天井から吊るされたマイクのみで録音されているが、それは逆に思いがけない好結果を生んだ。この録音は、リリースされることを目的に制作された他のライヴのように、響きの解像度は高くないが、それが幸いして音像がまろやかに溶け合った非常にブレンドの良いサウンドとしてとらえられており、それ故に筆者にかえって自然で音楽的なヨーロッパ風の演奏を楽しませてくれることになったのである。

 一方、この重厚かつ奥行きの深い音響空間を特色としたサウンドでつづられた演奏は、オーケストラ・アンサンブル金沢からベルリン・フィルを連想させるような表現を引き出した注目すべき成果として特筆される必要があるだろう。しばしばベートヴェン的な傑作と指摘されるモーツァルトの「ピアノ協奏曲第24番」は、まさに安永の芸風にぴったりと言える名演であるが、ここでは、やはりドイツ的で格調の高い市野あゆみの彫りの深いソロが光彩を放っており、この作品の再現における一つの規範というべき内容を呈している。重厚なサウンドと折り目正しい表現で語られたハイドン「交響曲第88番『V字』」も安永らしい高度に音楽的で実直な演奏であり、作品からグレードの高い魅力を引き出している。CD化されたことを喜びたい価値ある演奏である。(ナミ・レコード)

(2023年3月22日掲載)

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