金 殷真(KIM Un Jin)

神奈川朝鮮中高級学校 音楽科教諭、吹奏楽部顧問。 神奈川朝鮮吹奏楽団 常任指揮者。作曲…

金 殷真(KIM Un Jin)

神奈川朝鮮中高級学校 音楽科教諭、吹奏楽部顧問。 神奈川朝鮮吹奏楽団 常任指揮者。作曲家。 朝鮮大学校 教育学部 音楽科卒。作曲を崔振郁、高昌帥の各氏に、和声・対位法を新倉一梓氏に師事。 ホームページ→https://kim-un-jin.jimdosite.com

最近の記事

異動のご報告

2024年度より、朝鮮大学校教育学部音楽科へ異動することになりました。 二十歳より今日までの28年間、神奈川朝鮮中高級学校にて青春や人生を共に歩んできた生徒たち、そして同僚の先生方はもちろんのこと、出会ったすべての方々に、私は教わり、生かされ、人生のおそらく一番長く大切であった時代を、充実と成長の日々の中で送ることができました。 言葉にすれば何やら稚拙で月並みなご挨拶となってしまいますが、言葉では語り尽くせない、本当に素晴らしい日々でした。 コマッスンミダ。有難うございます。

    • 今年最後の演奏

      2月18日、今年度のチームでの最後の演奏でした。 今年の吹奏楽部のテーマは『꽃다이〜花のように』。 部員たち全員が、花のように、1年という短い時間を、精一杯美しく咲かせてくれました。 「散りぬべき 時知りてこそ 花は花なれ 人も人なれ」(細川ガラシャ) 幸せだからといって、この時間は永遠に続くことはありませんが、だからこそ燃えるような、美しい時間だったのだと思います。 まさに花のような子どもたちと過ごした、花の一生のような1年間の、幸福の余韻と寂寥の念に浸っております。

      • 更新の旅

        (音楽の話題ではありませんが、普段と違う日常を過ごしたので、文章にしてみました ^^) ♪♪♪ 大雪のため、学校が休校になった。 後日行く予定だった外国人登録証明書と運転免許証の更新手続きの日に、大学の補完授業が入り、どうしようかと思っていた矢先であったので、急遽行くことにした。 10時20分、自宅を出発。 エレベーターで、人のいい、優しいおばあちゃんに会い、とても優しい気持ちになった。幸先がいい。 エントランスの管理人室には、文在寅元大統領にパッと見の印象だけ似ている

        • 幼少期から大学卒業までを振り返る

          そういえば今の自分は、そんなにまずくないほどの音楽の感覚とスキルをよくぞ持ったものだと、ふと思った。 なぜこうなったのか。 幼少期から大学卒業までを振り返ってみる。 幼少期に音楽教育は一切受けていない。 実家の1階は店舗で、唐辛子を中心とした朝鮮乾物を販売していた。 店舗の奥には扉があり、そこを開けると唐辛子を粉末にする大きな機械が3台あった。そいつは24時間ほぼフル稼働していて、いつも正確なリズムで唐辛子を粉砕していた。3台とも少しずつ速度が違うので、少しずづズレてい

          『第55回 在日朝鮮学生中央芸術競演大会』

          神奈川中高吹奏楽部は、たった12名の吹奏楽部が7演目にも出演し、5つの金賞と2つの銀賞を受賞した。 文句なしの歴代最高成績。 合奏部門においての3年連続の金賞、これも歴史上初の快挙。 子どもたちを本当に誇りに思う。 素晴らしい。 小編成化が一気に加速した5年前より、普通の編成での演奏がかなわなくなった。 いかに極小編成でも音楽を楽しめ、その質を充実させたものにできるか。 それに合わせた指導のこと、編曲のことをしっかり学んで、極小編成でも卑屈にならず、青春を満喫させてあげられ

          『第55回 在日朝鮮学生中央芸術競演大会』

          2023年上半期が終わりました

          2023年も半分が過ぎた。 もちろん日常の学校業務が生活の中心だが、音楽に志す者としてのみ語ると、音楽教育に、作編曲に、指揮に、本当に忙しく、充実した上半期であった。 朝鮮大学校音楽科『作曲法Ⅰ, Ⅱ, Ⅳ』、『作曲法演習Ⅱ』の授業 音楽教研分科長としての仕事(相談室運営、教員講習準備) 中級部『音楽』教科書編纂作業 ユーフォニアム独奏『アリランの夢』委嘱作曲 金剛山歌劇団2023公演『春風』5声部重唱+オケ伴アレンジ 2023年吹奏楽部創作曲『華の剣〜雪竹花伝〜』作曲 ハ

          2023年上半期が終わりました

          作曲を教える人になって

          2022学年度、母校の朝鮮大学校教育学部音楽科で「作曲法」「作曲法演習」という2つの授業の非常勤講師を務めた。 お話をいただいた時、言葉にできないくらいに感動し、胸が熱くなった。 私が作曲を学んだ母校で、ついに私が「作曲を教える人」になってしまったのだ。 卒業生として大変な栄誉であるとともに、作曲を志すものとして、大学で作曲を専門に教えるということは、大変な喜びではないだろうか。 と同時に、もちろん大きな責任を感じた。 未来の在日同胞社会を音楽で支える若者たちが、その基礎と

          作曲を教える人になって

          指揮についての忘備録

          「指揮者は難しい」と、ほとほと思う。 今年は特に、指揮する機会や指揮の指導をいただくことが多く、やればやるほどにその難しさを痛感している。 以下、自戒のための忘備録として記しておく。 --- 指揮者の通る3つの段階ブルーノ・ワルターのごく短い論文『指揮について』では、指揮を続ける者は必ず3つの段階を経ると書かれている。 うろ覚えではあるが、概略はこのような感じであった。 ① 第1段階 まず初めの段階では、棒を振れば楽団がそれに合わせて音を出してくれ、音楽を変化させて

          指揮についての忘備録

          「なりたい」になってみて

          「あんな作曲家になりたい」 「あんな指揮者になりたい」 「あんな人みたいになりたい」 … 自作が演奏されることにわくわくし、自分の指揮で音が出たり変わっていくことにわくわくした。 「なりたい」もの、「わくわく」するものを、ひたすら追いかけた。 わくわくを追いかけてきて、ふと立ち止まって振り返ってみると、いつの間にかなりたかったことがたくさん実現されている。 プロの作曲家と呼ばれるようになった。 吹奏楽やオーケストラの指揮者にもなった。 いつの間にか「なりたい人」と呼ばれ

          「なりたい」になってみて

          プライドというバケモノ

          歳を重ねるだけで、人の中には「プライド」というバケモノが育っていく。 大した実力や実績がなくとも、そいつはどんどん大きくなり、やがて当の本人という実態を追い抜いて成長してしまう。 こういうこともある。 実力や実績があっても、それはすでに過去のもので、今日という日の闘いを忘れ、過去の栄光や武勇伝にのみプライドを持ち、古くさいバケモノがひとり歩きする。 「昨日の勲章も、今日の闘いの中で輝く」 自戒の念を込めて、この言葉を忘れないようにしている。

          プライドというバケモノ

          音楽(作曲)に音楽理論は必要か

          「音楽(作曲)に理論は必要か」という議論は、古今東西尽きることがない。 まず私の見解を申しあげると、「あった方がよい」ということになる。 「感覚と理論のどちらが大事か」という趣旨と混同されがちだが、音楽理論とは2500年に及ぶ大作曲家たちの感覚を体系化したものであり、それを学ぶことは感覚を磨くことと同意なのである。 「音楽はセンスでしょ」という方にこそ、ぜひ音楽理論を学んでいただきたいと思っている。 音楽の初学者が学ぶ音楽理論の代表的なものに「楽典」がある。 「楽典」は

          音楽(作曲)に音楽理論は必要か

          スランプ脱出法(作曲)

          作曲にもスランプがある。 そしてスランプが訪れるたびに、 「ああ、私の発想は枯れてしまったのか…」 などと思う。 ひどい時は、もう、ひとつの音符さえも置けなくなったのではないか、とさえ思ったことも多々ある。 過去の作品を眺めてみても、 (これ、本当に俺が作ったのか⁈) と疑ってしまう。 そしてスランプの時は決まって、デスクやキーボードに向かっても、すぐにスマホをいじったり、他のことをしてしまう。 (こんなんじゃダメだ!)という敗北感と焦燥感は、スランプ状態をさらに加速

          スランプ脱出法(作曲)

          昭和の男がやってみたい仕事

          中学の頃、一緒に寝転びながらプロ野球中継を観戦していた、アボジ(親父)とのやりとり。 … アボジ「おう、男が一生のうち一回でもやってみたい仕事ベスト3って、知っとるか?」 俺「知らんわ〜」 アボジ「映画監督、オーケストラの指揮者、そしてプロ野球の監督や。ワシも1日でもええけえ、プロ野球の監督、やってみたいもんやのう…」 … 昭和の一般庶民の家庭によくある風景かもしれません。 当時は野球とも映画とも、そして音楽とも、まったく無縁の生活を送っていた私でしたが、その話は

          昭和の男がやってみたい仕事

          「なりたい」はいらない

          いい話を聞いた。 「なりたい」はいらない。 やればいい。 「作曲家になりたい」 はいらない。 「作曲し続ければいい」 「漫画家になりたい」 はいらない。 「漫画を書き続ければいい」 こうすれば、「なれる」かどうかは別問題だが、それを「する」人にはなれるわけだ。 なるほどである。

          「なりたい」はいらない

          最近の若者は…

          「最近の若者は…」 という言葉。 若い頃も、そして今も、この後ろに否定的な言葉が続く場合が多く、そうなると本当にげんなりする。 そんな言葉を聞くたびに、 「オマエの若い頃はそんなに偉かったのかよ」 と心の中で言い返している。 昨日、2年ぶりとなる金剛山歌劇団の東京公演を観た。 コロナ禍の中でも、祖国と同胞たちに支えられて、歌い、踊り、演奏できる感謝と喜びにあふれた、素晴らしい舞台だった。 ドラムでデビューした教え子の姿に、舞踊手でデビューした同級生の娘の踊る姿に感動し

          最近の若者は…

          晴耕雨読

          「晴耕雨読」という言葉がある。 晴れの日は耕し、雨の日は書を読むという意味だ。 とても好きな言葉で、有名な逸話では、中国の三国時代、諸葛亮が劉備による三顧の礼で世に出る前まで、草蘆にてこのような生活をしていた。 人の営みの本質を簡潔に表す、大変素晴らしい言葉だと思う。 雨読の日々とは、言い換えれば知識や技術を修め、晴れの日に備える日々のことであろう。 諸葛亮のその後、竜が天を駆け昇るような大活躍は、まさに雨読の日々に準備されたものであろう。 深読みすればこうも考えられる。