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2月
大海から
一杯の水を掬っても
それはもう海ではない
それはただの水だ
余震があった。東日本大震災から十年が経(た)ってのことである。あの日から地続きのままの今があることをあらためて実感した。激しく揺すぶられて、呼び覚まされたような気がした。心の中にはっきりと震災の記憶が眠っているのだ、と。依然として変わらないコロナ禍の状況で「ソーシャルディスタンス」や「3密を避けて」などの呼びかけにより、集まり語り合うこともはばかられる昨今だが、あらためて分かち合いたいと願った。
田口犬男は数少ない同世代の詩人として、親しく思う存在である。十二年間の沈黙を破るようにして新詩集「ハイドンな朝」(ナナロク社)が出たことは喜ばしい。冒頭の詩にたちまちに惹(ひ)かれる。「私の中に海があり/愛という潮騒が立ち騒いでいる/ひどく懐かしい歓喜の音楽」。読むほどに味わいが深まっていく語り口が、霧の濃い野道の先にある一つの灯のように心を照らす。「私の中の小さな海が/すべての海とつながってい…
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