舞台と人生(8)指揮者 朝比奈隆
「普通の人」が咲かせた晩学の花 編集委員 内田洋一
指揮者の朝比奈隆さんは神戸の六甲に住んでいた。背後は六甲山系、見下ろせば海が目に入る高台だった。1994年秋のこと、散歩コースをともに歩き、公園でインタビューした。
ある母娘にベンチを譲ってもらった。「すみません!」
朝比奈さんが、しわがれた大声を出した。その邪気のなさ。
飲み仲間だったという先代片岡仁左衛門の話に花が咲いた。「役者に本当の味が出てくるのは70からですねと言われたことがある。指揮者だって、そうなんですよと答えました」
私は「片岡仁左衛門 芝居譚(しばいばなし)」の一節を思い起こした。20代はよく見られたい一心、30代はほめられたい一心、40代は尊敬する大先輩のようになりたい、50代にはいい役者と言われたいと思った。60ともなると、なんとかいい芝居をお見せしなければと考え、70になると役になりきらねばと苦心するようになった。80も半ばのこのごろはもう何も考えなくなった……。
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朝比奈さんの決まり文句は「不器用で晩学でして」。京大で音楽の指導を受けたエマヌエル・メッテルに「君は不器用だから1日でも長く生きて、1回でも多く演奏しろ」と吹きこまれ、そのとおりの人生をおくった。あれもこれもではなく、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームスといったドイツ音楽にもっぱら力を注いだ。音楽の専門教育が欠けている不安から長い間のがれられず、これで良かったと思えるようになったのは70歳を過ぎてからだった。
指揮者に音楽づくりを尋ねれば、哲学を説く人もいれば、楽譜分析をする人もいてさまざま。朝比奈さんは豪快だった。「やれ吹け、それ吹けとやってるだけ」とか「ベートーヴェン交響曲全集? 坊さんのお経と一緒でやればやるほどよくなる」とかいう話に終始する。
指揮法とも無縁だった。...
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